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■ 認待力 | 2014. 4.18 |
チョット硬く響く表題であるが、できるだけ柔らかく書いてみたい。 幸福な人生、成功人生において努力と忍耐は必要不可欠であり、これを苦にするか喜びにするかはその個人にとって極めて重大な問題である。 即ち忍耐すること、努力すること、つまり一般に苦痛とされる事柄を喜びにする力があれば、実のところどんな分野でも成功できる・・・筈である。 端的に述べると忍耐力は「楽しむ力」と言い換えても良いのである。 マラソン選手が42kmの長大な距離をできるだけ早く走り抜けるのに、それが苦痛ばかりであったら走り続けることは困難なのではないか。 多くのランナー達はそこに何らかの喜びを感じているワケで、今やマラソン大会が初冬から春にかけて全国各地で開催され、参加者も多くいずれも大盛況らしいけれど、これこそ人間の怠惰欲に反する忍耐力、苦を楽しむ傾向の顕現なのではないだろうか。 「人間は重き荷を負いて遠き道を行くが如し」と残したのは徳川家康であるが、人生をマラソンになぞらえると、その行動心理には忍耐力(楽しむ力)か絶対的に潜在せざるを得ないと思える。 先々代の若乃花がテレビのコマーシャルで「人生しんぼうだ」なんて今では殆んど若者には受け入れにくい耳障りの悪い言葉も良く考えてみれば、そのような言葉を心身の深部に染み込ませるような鍛錬・訓練をできるだけ若い時に経験しておくことがいかに有益であるかはかり知れない。 ○宮本武蔵の幽閉 ○西郷隆盛の島流し ○司馬遷の宮刑と獄舎 ○ネルソン・マンデラの27年間の監獄生活 多くの偉人たちの苦難・困難の甘受とそれに対しての忍耐力には本当に敬服させられるし、数え上げたら枚挙にいとまがない。 まるでその人生の偉業と苦難の大きさとが正比例しているように見える。 ・・・であるので、あまり老いや病や苦難・困難や嫌な仕事とかとにかく自分の身にふりかかる避けることの難しい出来事を恐れないことである。 どちらかというとそれらを全て受入れ肯定し、できれば楽しむことである・・・。 とは言うもののそれには結構工夫がいるもので、その最大のものはやはり「考え方」である。 「何で自分だけが」とか「オレはなんでこんな目に合うのか」などと自分の運命を被害者的に捉えたり「なんで・・・」という言葉を語頭に置いた思考回路を捨てて、起こったことをありのままに観察し受入れ、それらの出来事が自らの人生にとってどんな意味・意義を持つのかを少し考えてみるとか人生の学びのステップと解釈するとか・・・、とにかく歩きつづけること、踊りつづけること、生きつづけること・・・であろうと思える。 「人生はいつか終わる」 「人生とは生まれてから死ぬまでの時間である」 であるならば一瞬一瞬の出来事についてそれを「楽しむ」と決断し、それを継続しつづけることがその個人の真のの忍耐力と考えている。 ついでに「待てば海路の日和あり」の諺どおりただ待つというのもひとつの手である。 多少、他力本願で良いということだ。 “Everything comes to him who waits nothings”訳は「待つ者はどんなことでも叶えられる」 英語の方が凄いあるネ。 忍耐力を認待力と書き変えも良い。 それを認め、理解し、待つこと。 モチロン認めるとはプラスに受け取ることで拒絶ではない。 何となく勇気も湧くし力の抜けることばではないか。 ありがとうございました M田朋久 |