コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ なんとかなる2014. 4.12

しばらく前に書店のベストセラーコーナーに「ニャントカナル」というタイトルの本が可愛い猫の写真入りで並んでいて、これは或る方から戴いて自分の猫飼いと同調して結構イケてる書物というか写真集であった。

主として経済的な問題についてのこの言葉は効果テキメンらしく、呪文かマントラのように唱えれば問題解決しやすいらしい。

金銭問題は一般の多くの人々にとっていつも切実なテーマでそれ程でない人でも頭の中にこの問題が全くないというのはやはり少数派であろう。

今生きている人々はとにかく「とりあえずなんとなく」存在しているワケで、色々な不測の事態、深刻な状況でも何とか乗り切って来られたのではないかと思える。
「お金がなければ生きていけない」という思い込みは現実に無意識に現代人の心に刷り込まれていて無目的に貯金をしていたり大した動機も人生の目的もなかったりするのにお金だけは欲しがる方もおられて結構奇妙ではある。

今回はお金についてだけではないのでこの辺で割愛させていただく。
筆者の場合、経験的にはこの「なんとかなる」という言葉は不要なくらい何とかなる体質というか、心身・魂に染み込んでいるようで、まるで太平洋のド真ん中で溺れかけているような窮地のドン底にあっても神様の大きな掌で優しくサッと救い上げられた・・・ような奇跡が度々あって自分は何と言う幸運、強運の星のもとに生まれたのであろうといつも神仏や両親や周囲の人に深い感謝の念を抱かない日はない。

少年時代にはバイク事故でガードレールにぶつかり数10メートルも飛ばされて石だらけの川原に落ちたらしいが、意識不明が1日あっただけのカスリ傷で治ってしまったり、青年期には車が大破、鉄屑になるような大事故を3回も経験したが、これまた軽傷すら負ったりすることはなかった。
後で考えてみると誰も無事ではいられないと思える程のクルマの残骸状態であったので、これも奇跡と言えるかも知れない。

人によっては階段から落ちたり風呂場で転倒したりするくらいの事故でも後遺症の残るくらいの大けがをした方もおられて誠にお気の毒であるけれど、そういう人々には何かしらご加護があまりないように見える。

「大丈夫、なんとかなる」
この言葉がかなり強力なプラス思考への導き手にはなるようで、10回くらい口ずさんでいると何となく元気になるし、実際に前向きなアイデアを生み出す力が潜んでいるように思える。
少なくとも「〜ならどうしよう」とか「心配で仕方ない」とか「なんとなく不安」とかの言葉を吐き出すより人生にも健康にも有益であろう。

いったんマイナスになってしまった心をゼロベースに戻す為に、また冷静で明晰な頭脳を獲得する為にも「大丈夫、なんとかなる」は結構有効なのではないだろうか。

竹中直人が大河ドラマ「軍師官兵衛」で豊臣秀吉を再演しているが、同じようなニュアンスの「心配ご無用」と立て書きに手ぶりをして人に安心を説くサマが出てくるが。これまた当時の織田信長の忠臣としての言動として大いなる説得力を有するものと思える。
しかしながら天下取りを終えた後の秀吉の言動は心配性のソレで、子孫の心配ばかりして結局家を絶やしてしまったのは皮肉なことである。
「大丈夫なんとかなる」は「果報は寝て待て」と同じく怠惰でノーテンキでおバカな楽天家の戯れ言葉とも受け取られやすい傾きもあるが実際はそうでもなく結構知性も勇気も愛も実力も備えた人物、人格者、人生訓として語られなくてもキチンとしたプラス言葉であって、その口走った人物を困難克服への勇気と目標達成(成功)へ導くとても有益な言葉なのではないかと思える。
一時的にも天下を治めた豊臣秀吉のように「心配ご無用」「大丈夫、なんとかなる」は明確に座右の銘にしても良いくらいだ。

同じようなニュアンスの言葉に「なるようにしかならない」ねんていうのもあるが、こちらの方がさらに力が抜けて良い場合ガある。表題の「何とか・・」の言葉には、根底に「何とかしよう」という前向きな強い意志が感じられて少し息苦しいが、「なるように・・・」には、より受動的で安易で怠慢でのびやかな語感が諦念的で悟り臭くて好もしい気がする。これは、やはり使い分けですなあ。

ありがとうございました
M田朋久



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