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■ 達人 | 2014. 3.24 |
アイウエオ順に思いついた表題を適当にこのコラムの上に冠するというのは我ながら良い思いつきと感じる。 それは普段思いもつかないことについて考えることになるので、思考の方向性に少し拡がりが出て来て頭のトレーニングに良いのではないかということと、読者の皆さんに退屈を与えないという意味で少し挑戦的な試みであると思える。 達人とは例の如くネットで調べると「一芸で道を究めた人」だそうで、類語として名人「一芸に秀でた人」さらに数奇者とかの表現もあるようだ。 最後の言葉は「好き者」という風に筆者の頭にはイメージされるので、その道つまり「色」の道の達人・・・という感じに受け取ってしまうようだ。 「道を極める」とは二字熟語にすると「極道」になるので、ヤクザはその道を極めた人と言えなくもない。 元々ヤクザというのは昔任侠道と言って仁義・侠気(おとこ気)を自らの掟として、それがたとえ反社会的こういであっても、しなければ「男がすたる」というか「女ぶりが落ちる」というかひとつの社会活動における美学があって、たまたまそれが法や秩序を乱す時に暴力団とか地下組織とかならず者集団とかの呼称をされるようになったと考えられる。 モチロン極悪非道の略として「極道」という見方もあるが、高倉健や池部亮などが出ていた昔の任侠映画には前記した人の道を極めた、即ち愛や思いやりや人としての義理を貫く渡世人として主人公が描かれてあって、少なくとも男の生きざまとして結構美しい側面があるようだ。 何故かフランス映画などにこのあたりの感性が今も昔も取り入れられていて、北野武のヤクザ映画が大いに受けたり、アラン・ドロンという昔の美男俳優が「サムライ」とか「仁義」とかその他いろいろな映画の主題として取り上げたりしているようだ。 さて達人に戻るが、この言葉ですぐに思い浮かぶのは剣豪・宮本武蔵である。 それこそ剣の達人であり、それについての講釈をつづった「五輪書」なる指南書まで書き残しているからまさしく達人様の代表格なのではないだろうか。 今は料理や建築で日本人の多くが達人的素質を持っているようで、それが集団となって達人的モノづくり企業も山のようにあって世界的にも有名であるようだ。 世界のトヨタもそれら達人や匠の技を持った傘下企業が、100万分の一みたいな不良品が限りなく0に近いさまざまの部品を製造することによって世界一耐久性の高い、故障の少ない高品質な自動車を生産できているらしくて同じ日本人として誇らしくて嬉しい。 それにつけても世の中は達人だらけで、それはスポーツや芸術、文化の世界で目立つ傾向があるが人知れず小さな町工場や医療や教育の現場、経営の分野でもその持てる匠の技を縦横無尽に発揮して「達人」している人が山のようにいると思える。 またどんな人もその仕事のみならず趣味や遊びの達人になるポテンシャルをその心身に匿蔵しているワケであるから、そう考えると人生もマンザラではないように思える。 筆者も心療内科の医者としてカウンセリングや心理学やらのセミナーや本なども結構読んで達人をめざしたが、誕生日占いの本で「深掘りしたらバケツの底に穴をあける・・・」などと割にグサッとくる言葉が書いてあってこれ以上達人をめざすのはやめにして、少し違う道で達人をめざしてみようとでも考えている。 少し怠惰怠慢、チョット休憩しても良いと自分に甘くしている今日この頃である。 ただし道を極めようという日々の少しの努力を怠らないようにしているが、その歩みはやたらにノロい。 世界中の達人の皆様とそれをめざしている人々に尊敬と愛を込めて・・・。 ありがとうございました M田朋久 |