コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ それなり2014. 3.22

迷った末に上記のタイトルを掲げてみた。
「そ」の段でつまってしまったのは、想像力とか掃除とか筆者にとっては重苦しいテーマで書き上げ切れず、何となく響きの優しく春らしい言葉が浮かんできたので大急ぎで「熊本県がん従事者認定協議会」の講習開始前の30分で書き始めている。
いったいどうなることやら・・・。

人間はそれぞれとてもユニークで、個性的で世界ただ一人の個人として生きているので人それぞれ「それなり」に生きて良いワケで、イチイチ指図されなくてもそれぞれの喜びやら苦しみやら悲しみやらを背負って自由にこの世界に存在して良いとは思うのだけれども、やはり真っ暗闇の深い森の中を突っ走るように無鉄砲に生きていると、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、思わぬ落とし穴に落ちたり変な野獣や外敵に襲われたりして面倒臭いやら痛かったりやらで、しないでも良い苦労をする羽目に陥ることが多くなるので、暗路を照らすクルマや単車の前照灯のような人生についてのいくばくかの知識というものが少しでもあったのではないかと思える。
筆者にとってそれは両親や学校や友人や本であったのだけれども、最も有難い個人的習慣のひとつが読書というものである。

日頃より闇雲に、雑学的に、無作為に、偶然に集まった知識が自分の人生を色々と導いたり助けてくれたりしているのは常に感じることである。

先週末の日曜日には月例のバイクツーリングがあって、相変わらず恐る恐る加わったのであるけれども、これまた前日の土曜日に書店で目に付いた「絶対転倒しない100の知識」という副題を掲げたBIG MACHINEというオートバイ雑誌を買って読んでみたら第一番目に「無知が転倒のもと・・・」と載っていた。
確かにバイク仲間で早くて上手でいかにも転ばなさそうな人物の博識ぶり、知識の多さには驚かされることが多い。
道路やバイクのメカや、それにまつわる周辺知識が多いので1回1回転倒して経験するワケにはいかないので事前に色々なことを知っているというのは結構大切なことなのではないか…と思える。
これは医者の仕事にも言えることで、今参加している講習会や運転免許の更新講習会など多くの会というものが知識を伝授する確認し合うこと目的として開催される。

人生をバイクの運転になぞらえると「転ばない」為に一定の知識を得ておくことがそれなりに自由に生きていくのに最も大切な要件ではないかと思える。

それなりに生きて、それで全部完璧に良かったと言える人生であればそれにこしたことはないが、多くの人々にはそれが「あーすれば良かった」「これは失敗だった」みたいに後悔をその考え方の根底において生きておられる方が意外に数多くこの世界には存在しているようだ。

反省とか後悔とかが人生にとって有益であることも多いが、所謂成功者と呼ばれる人々がどちらかというと「懲りない」という性格特徴を持っておられるとのことで、ついでに「群れない」という特性も併せ持っておられるらしい。

安部譲二という元ヤクザの作家がいて「塀の中の懲りない面々」という作品で売れっ子になり、映画化もされて当時は有名人のひとりであった。
その内容は刑務所を出たり入ったりして、それこそ「懲りない」人々を題材にしたユーモア小説である。

日本人もやたらに神経質に懲りて二度としないという面と、一方では遠景すると何だか滅法懲りないというか「しぶとい」というかその両面を上手にミックスした性向の持ち主が多いような気がする。

「それなり」に「なりゆき」で「気楽に楽しく」生きる為に必要な知識は広く深く多岐にわたるように思えるが、どんどんそれらを深めていくとどちらかというと単純で素朴なそれにインテグレートされていく。
それはたとえば人間関係においては「愛と感謝」その反対は「恐れと不平不満」。

後記の生き方では富も豊かさも幸福も得られない。
けれどもオートバイにまたがる時は恐れを持つことは多くの知識と危険予知能力を高める為に大切なことである。
しかし恐れすぎると緊張して逆に危険である。
ムズカシイ問題だ。

話しは突然変わって申し訳ないが「病ノ起源」ーうつ病の成り立ちーについてNHKのBS番組があって偶然見つけ録画して観てみた。
生物ノ進化の過程で、魚の危険予知能力、つまり捕食する「天敵」から自分を守る為に発達した脳の「扁桃核」が異常に刺激され過ぎると魚もうつ病になるそうだ。

さらに進化して人類は「記憶」する能力を持ち「言葉」を持ち扁桃核の危険信号を脳全体に発してうつ病にさせるとのことであった。
さらに現代人は「孤独」という刺激にも弱いらしい。
人間は猿と同じように、多くの哺乳類と同じように「社会性」を持ち共同生活媒体(社会)で安心するらしい。
つまり人間としての「絆」が健康に生きていく為に必要であるのだ。
孤独も人間にとってひとつの危険信号であるらしい。
それに「公平性」。
社会の不平等、不公平な状態も人間の精神にとって有害であるようだ。

興味深いことに人よりも多く損をした人や多く得をした人のどちらもストレス状態で、最もそれが無く気持ちが平和なのは公平である、即ち取り分が同じという状態であるとのことだ。
言い換えると人間は元々「分け与える」ように創造されているようで、幸福に健康で生きる、少なくともうつ病にならない為には多く稼いでもそれと同じくらい多く分け与える必要があるようだ。

富める人々も貧しき人々もできるだけ平等に公平に共同社会を営むことが人間の精神に良ろしいということは現代の社会のうつ病が或る種大切な警鐘を鳴らしているように思える。

独占とか独り占めというのは良くない・・・ということは目の覚めるような美人の奥さんとか水も滴る良い男のご主人も社会で公平に共有するべきなのであろうか。

すぐにシモネタに走ってしまうけれど金銭や地位名誉よりもソチラに関心の強い筆者の悪癖である。
乞うご容赦。

全くそれなりに書いてしまった。

ありがとうございました
M田朋久



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