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■ 世界平和 | 2014. 3. 8 |
ワールドピース(世界平和)という名前に改名したNBAプロバスケットボール選手がいる。 この方は改名以降活躍が今ひとつで、あちこちトレードされて今は中国のリーグに行かれているそうで、何となくこの改名がその人生をおぼつかなくさせている気がする。 一般の人々、特に日本人にはその認識の低い人が多いが、今でも世界は戦争状態にあって、第一次・第二次の世界大戦ではなくても世界各地でさまざまの紛争が生じており、一見平和そうに見えるお隣韓国などは北朝鮮との間で全き戦争状態でただ今停戦しているだけのレベルであるそうである。 近々はロシアのウクライナへの進出とかが話題になっているが、中国・アメリカ・ロシア・イギリス・フランスなどなど日本を除く先進国はレッキとした軍隊を持ち、常に戦闘態勢にあり、事があればすぐに「出動」できる状態になっている。 平和大国日本ですら実状は自衛隊と称するまぎらわしい名称の軍隊を持ち、常に緊急事態に備えているという意味では他国と変わらない。 国家に警察があるように国際社会ではチャンとした警察は無いに等しいので「自分の国は自分で守る」為に我が日本国も結構な軍事力を保有しているのは仕方の無いことである。 天皇陛下の今年の年賀のお言葉にも「世界の平和」の文言は無かった。 世界平和という言葉の裏に世界戦争という対極のイメージが潜んでいることをご存じなのかも知れない。 先述したプロバスケットボール選手、ワールドピース氏の言動はその名前と裏腹に暴力的で数々のいざこざ、トラブルを生じさせている人物だそうである。 世界平和という言葉は欧米の著名人にそのスピーチの最終でそれを祈ります・・・みたいな終わり方をするのが少し流行したが、今はあまりに空々しくて語られなくなったようだ。 今の人類の心理状態ではいかにそれが実現困難であるかを皆心の底に鮮明に認識しているにちがいない。 人類が世界の全き平和を実現するにはまだまだそのレベルが低すぎるということであろうか。 知性のとても高い世界の賢人たちもそれを理解しているためかあまりそれを公には語らないようになった気がする。 あきらめ・・・。 幻想・・・。 家庭内、職場内、地域、市内、県内、国家と本当の平和などどこにも無いではないか。 世界の平和なんて考えられないではないか。 常識的に・・・。 人間は争うこと、競うことが大好きなのである。 そうして人間の記憶はネガティブなことにフォーカスしやすく、すぐに過去の憎しみ、恨みつらみなどで相手に対する復讐心をたぎらせて喜んでいる・・・というのが大方の世界人の常態であろう。 日本人のように全てを「水に流す」なんてことはできないのである。 その日本人ですら過去の恨みつらみ、憎しみの為に、罪悪感の為に苦しんだ人は山のようにおり、全く他人事ではないし従軍慰安婦問題、中国への侵略問題、イスラム教徒とキリスト教徒の十字軍遠征への憎しみ。 米国の南北戦争にしても未だにそれを理由に反目していると聞く。 人間の記憶のエゴの部分は全て欲望と憎悪と憎しみで満ち満ちているようにも思えるが、それらが全てレベルの低い愛の感情に根ざしていることが問題をややこしくしている。 愛の為の復讐は今でも正当化されると思わせる物語や映画は今でも数えきれないほどある。 忠義の為の復讐は日本を江戸時代の赤穂浪士による所謂「忠臣蔵」が有名であって、今でもそれが美談になるくらい尊ばれているように、人間のポジティブな心理はネガティブなそれと、ちょっとした刺激で簡単にまるでオセロゲームのコインのように入れ替わり、世界平和と世界戦争とは表裏一体で存するにちがいない。 ・・・であれば世界平和という言葉も軽々しく発するべきではないのかも知れない。 真の世界平和の為に。 ありがとうございました M田朋久 |