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■ 策謀家の陥穽 | 2014. 2.23 |
世の中には「墓穴を掘る」という行動を無意識になさっておられる方がいてお気の毒であるが、これは大概何らかの悪意を持ってなされる策謀とか策略とか作為とか詐欺とかがこれにあたる・・・と思える。 戦争とかスポーツとかではこれが瞬間的に当たることがあるが、これもやはり一瞬であっていつまでも有効ということは絶対ではないけれど殆んどない。 次にはその策略は通用しないのだ。 一種のギャンブルみたいなもので本物の実力ではない、あくまでフェイク(偽物)、ダマシであるのだ。 やはり物事や事業、人間関係で長く成功しつづける、順調でいつづけるには正直、誠実、率直、オープン、真っ向勝負の方が良果を生むようである。 多くの成功経営者なども一番のモットーは「誠実」が最多で、策略・策謀というのは番外であって、それを一番に挙げる人々の多くが失敗経営者であることは頭の隅に記憶しておきたい。 苦肉の策というくらいで、策というものは全て一時しのぎ、邪道なのではないだろうか。 政治家が盛んにやっている政策論争にしたって、出てきた策がロクでもない愚策だったり極めて傍迷惑だったりするもので、一部の人を自己満足させるだけで多くのサイレントマジョリティーにとって迷惑千万みたいな例が多いような気がする。 「策士策に溺れる」という言葉のとおり、あらゆる策・謀り事は最終的に露見し、そこに善意でなく悪意でもあろうものなら今は世間とマスコミの強烈なバッシングに遭うと考えて良いであろう。 「正直は常に最善の策である」 これはかなり昔に読んだ知識である。 これは最悪の事態ではこれを箴言、守るようにしている。 墓穴を掘らない為に・・・。 最近まで激しい裁判合戦をやってきて今でも進行中であるが、訴訟事というのもお互いに策略合戦みたいなもので何ともイヤラシイがそれでも正直、率直、正義な方が気楽である。 嘘をつかなくて良いし、あまり考えることも罪の意識も自己嫌悪も感じなくて済む。 ただしマスコミに出てくるように普通の裁判所というところが正義の執行機関ではなく公序良俗を守ろうとする意図もあまりなく、どちらかというと事なかれ主義の相撲やスポーツの行事や審判程度の存在であるのに、その権力たるや絶大なものがあると気づいた時に何かしら世の中の法律というものや制度というものへの不信感を生じたのも事実である。 「正義が勝つとは限らない」 たとえあきらかに「悪」であっても法律的に手続きを踏んでいれば何のお咎めも無い・・・というのには強い驚きを感じる。 社会的にホンノ微罪であるのに大きく報道され、罪も重いのにもっと大悪が堂々とまかり通っている・・・というのも明らかな事実であるようだ。 とは言え、やはり作為や策略、謀り事の結末は悲惨であることが多い。 最悪のソレは計画的な犯罪であるがこれは言うまでもなく人生における大変な損失となる。 物凄い労力を使ってするその策略は突如としてご本人に或る種の自惚れのような万能感を与えるのかも知れず「刑事コロンボ」などの録画を観ているとゲスト主人公(犯人)がシメシメとばかりに綿密な計画を立て、多分に自己満足的に準備したさまざまの完全犯罪への試みがカウンターパンチのように自分の掘った墓穴であったことはコロンボに暴かれる・・・という物語は犯罪というものの割の合わなさという無駄な労力であったかを思い知らせてくれる。 有難くも面白いドラマである。 自らの裁判沙汰を通じても相手方の作為が殆んどすべて裏目に出て結果的に自らの墓穴となってしまった感があるものの、担当判事の裁定はどちらかというと同義にのっとったものではなく、当たり前ではあるが法律家のものであるのでケチをつけたくはないが腹は立つ。 そもそも裁判というものが闘いであるので仕方無いが戦上手が勝つということは策士が強いとも言えて「こんなことが許されて良いのか」「法律的に無知で善良な人の味方をするべきではないのか?」なんて感じの怒りである。 いずれにしても世の中は一見すると策略家・策謀家はうまく生きていると思われがちであるが実のところその本態は言葉にするとゴマカシ屋、ダマシ屋、駆け引き屋ということになって最終的には人の信用を失って名誉も地位も地に落ちてしまう・・・ということになるのではないか。 このような傾向の人がアジアの新興国、特に中国人やインド人に多いように見える。 これは歴史的にも三国志(中国の古典物語)などの登場人物で本場・中国では魏の曹操あたりが最も人気があって、日本のように劉備玄徳とか諸葛亮孔明とかではないそうだ。 孔明もその知略、謀略で名を国中に馳せてはいるが。 曹操の功績のひとつは兵法書として世界的に有名な「孫子」の編纂に関わったらしく、いかに戦いにおける駆け引きの類に重きを置いた人物かが分かる。 それらの一方で詩や文学、その他経書にも親しんだらしく、曹操という人物が一生懸命精神のバランスを取ろうとしていたことが窺える。 今はそれらの軍略家、智謀家、策謀家としての能力に注目しがちであるように思えるが、繰り返し述べてきたように「策士」であるからこそ策に溺れ失敗しないようにさまざまの工夫をしていく必要があろうと思える。 策謀の最大の弱点は「策」そのものにある。 国家の施す政策の多くが墓穴を掘った例は山のようにあって、このことは何故かマスコミを行政もあまり公表も提示もせず、普通の国民はエライ人たちの策謀の犠牲になっている。 これはどんな「策」にも言えることで、人為的なものの愚かしさは大自然のふくふくとした豊饒さや悠久の宇宙の運行にくらべた時に強く感じることである。 いずれにしても戦いが好きな人間社会では策謀が重要視されるのは当然と思えるが、だからこそ素朴さ、純粋さ、無邪気さなど人間の本性とその善良な性向も大事にしたいものだ。 ありがとうございました M田朋久 |