コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ コントロール2014. 2.21

筆者には何と子供が4人いて、その構成は息子が3人、娘が1人。
32才から42才の間に作っているので自身ではその期間を繁殖期と呼んでいる。
今から思うと若気の至りも良いところで、割と「出来ないのではないか」と心配した時期もあったけれど結果的にそれぞれ上が28才、下が18才と何とか目途がつき精神的に自立自律しているので殆んど子育てに関わらなかった筆者にとってそれぞれに母親には深い感謝の念を抱かずにはおれない。

ついでに今春には次男の夢であった医学部合格を果たし重い重い長年の肩の荷が下りて瞬間的に燃え尽き症候群になったみたいだ。

所謂3浪の末にやっと合格したのであるから本人の努力、継続力、執念たるや我が子ながら尊敬せずにはおれない。
九州でも3指に入る進学校(中学)に進み、ついていけずドロップアウトして地元の公立中学校へ。
成績も上位であるもののとても医学部のレベルではないのに私立ではあるが受験校全合格という“快挙”。
親としてこんなに嬉しいことはない。

ことに筆者の最も愛育した最も心優しい息子であるので必ずや良医になって世の中に出て社会に貢献してくれると思うし長年の挫折や労苦もきっとすべて心の滋養、人格の肥やしとなって自らの自己成長への旅へと導く原動力としてくれるであろうと秘かな期待をしている。

開業医の息子というものはそれ以外の職種の人々にはあまりピンと来ないと思われるが、生まれた時から自分は医者にならなければならないんだなぁ・・・という周囲の有言無言のプレッシャーの中で育ち、開業医になって子供が生まれると再びこの子を医者にしなければという、実のところ深く考えると殆んど根拠の無い思い込みの為に長い間重苦しい薄雲に覆われた気分がつづいたものを60才にしてはじめて晴れ晴れとした気分にさせてくれて、そのような意味でも息子に感謝したい・・・という気分である。

4人子供がいるということは4人分の楽しみと苦しみと愛と希望と挫折とがあって、親としていくら仕事や遊びに没頭していても心の底から彼らへの思いを完全に断ち切ることはできない。

彼らの幼い時の愛らしさ、愛おしさには格別のものがあってもともとは子供嫌いであった筆者をしてとろけるような愛の喜びを感じさせてくれる有難い存在でもあった。
「食べてしまいたい」くらい狂おしい程の愛おしさで「殺してしまいたい」・・・というような奇妙な欲望も当時抱いたくらいで、人間の心、欲望の複雑な動きには我ながら驚倒する。

月日が経ち彼らが成長し自立していく姿を見るのもこれまた深い喜びを感じる。
自らの人生の「未来」というものが形になって存在し、生命活動を営んでいるという実感は何よりも自分の死というものを受け入れやすくさせるので、かなりのレベルで人生における気楽さを醸成させてくれるのも有難い。

子供のいないご夫婦とか全くの独身という方々もおられてこういう喜びは伝えにくいのであるけれど、喜びと同時に苦しみをあって人様に迷惑をかけて世間を騒がせたり良からぬ心を持って犯罪に手を染めたり思い心身の病気をかかえて親の手や心を煩わせるとかの子供がいたりしたら全く逆の憎しみ、恨みつらみで家庭内が地獄みたい・・・という例もあり、それなら余程独り身や離婚、家庭内解散をして自由を満喫した方が良いと思われる家族も多くあってヤヤコシイ。

夫婦二人子供なしで仲睦まじく平穏な人生を心おきなく楽しんでおられる方もおられて、これらの方々には子供という存在が人生計画の中に多分まったく必要でないというか夫婦だけで愛し合う為に生まれて来たと言えるかも知れない。

鬼のような子供の存在の為に地獄のような苦しみを味わう家族もあったりして「黄金も玉も何もせむぞ、子に勝る宝しかめやも」・・・なんて言える子持ちだけというワケではないのだ。
人生でもかなり大きな喜びを戴いているので有難いことではある。

自らの信心のお陰かご先祖の余慶ということであろう。
理屈としてはこのことが最大の恩恵のひとつかも知れない。

前置きばかりになったが子供に対してコントロールしようという試みは普通、大概失敗に終わることが多いが無言のメッセージとして伝えておくべきことがいっぱいあって、たとえば「心配する」という親の心、それに基づいた行動は普通悪果を生む。

心配でなく信頼が良い。
心配というのは見方を変えると子供を信頼していないというメッセージになるからだ。
それと病気の時の対応だ。
元気な時によく関わって優しいのは良いが、病気の時に強く強く優しくしたり激しく心配したりするのは良くない。
やや冷体くらいが良い。
「病気のアナタはあまり好きではない」・・・という程度にコントロールしておくべきだと思う。
他にもいろいろあるが別項に譲りたい。

いずれにしても操作的、コントロール的というのは裏心理学ではよくさまざまなアイデアが示されているがこういう類のものは精神的レベルが低いと言わざるを得ない。

理想を言えばコントローラーよりもマスターが良い。
つまり操作者よりマスター、師匠が良く、師匠というのは自らを手本として実践して他者に表現し人や子を導くもので、つきつめれば人生を楽しく生き生きと喜びや希望に満ち、おだやかで優しく人や他者や世の中の為にあまり自己犠牲的でなく生きているというような生き方をすることで他者に良い影響を与える・・・という意味で「子育て」はかなり有意義な訓練になる。
けれども生来的にこれが上手な人と下手な人がおられて、このあたりの頃合いは結構難しいというのが実情である。

少なくともコントロールをできるだけ減らし、マスターをめざすというアイデアは自分にも他者にも有益であろうと思える。

ありがとうございました
M田朋久



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