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■ 決断 | 2014. 2. 8 |
毎日の生活はよく考えてみると小さな選択と決断の連続によって成り立っている。 或る程度ルーチン化された習慣的行動にはそれらの意識が存していないことも多いが、立ちどまって選んで決定し実行するという一連の流れは心の健康の良好な人は割とスムーズに進む筈である。 当然ながら、この決断の為には、その個人の価値観、倫理観、知識、情報、過去の経験、性格などが、それこそ決定的に存在し大きな影響を与える。 その人の意識、無意識を問わず・・・。 これらの前提があるので人生の岐路に立った時の決断には、勇気と愛と高潔な理念(生き方の基準)みたいなものがあると傍から見ていてとても美しいものになるし、結果も良好のようだ。 それが多分に自己犠牲的で悲劇的であったとしても本人の覚悟・矜持に即している決断であるならば傍から言うべきことでもない。 決断と聞くと映画「セント・オブ・ウーマン〜夢の香り」を思い出す。 先日(H26.2.2)亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマンも重要な脇役で出演していたアル・パチーノ、クリス・オドネル主演のアカデミー作品でクリス・オドネル扮する好青年の自己を犠牲にしても友人を守るという勇気ある決断に対し公聴裁判みたいな矮小な小人物の学校長を議長とした生徒、教師、父兄の全体集会においてのアル・パチーノ扮する盲目の退役軍人の名スピーチは何度観ても心打たれるし、人間として勇気のある決断とはいかなるものかに思いを馳せることのできる素晴らしい作品である。 全世界的に影響を与える大きな決断。 たとえば開戦の発令や原爆投下を決断したトルーマン大統領とかノルマンディー上陸作戦を決断したアイゼンハワー将軍(この方は最期まで日本への原爆投下に反対したとか・・・)とか各国の首脳たちの決断は世界に影響を与える重大なものであるのに、最終的には一人の人間が決断するモノである・・・という考えには或る種の脅威を覚える。 また逆にとても卑小なレベルでも、今の情報通信によるデータ集積の進んでいる現代社会においては個人のささやかな呟きですら世界中を駆けめぐるらしい。 何だかオソロシイ世の中になったものとも思える。 個人の小さな決断にしろ一国の命運を賭すイチかバチかの決断にしろその軽重に関わらず、言うならばそれは、ちょっとしたギャンブルのようなもので、結果はどうなるかどうなるか分からない。最終的には、運と天とにお任せ・・・というのが事の実相ではなかろうか。 ちなみに真珠湾攻撃を立案、決行、指揮した山本五十六は稀代のギャンブラーだったそうで囲碁・将棋は言うに及ばずトランプバカラ、ルーレットなどなどあらゆる賭け事に精通していたそうで何だか頼もしいというより空恐ろしいものを感じる。これは、江戸無血開城を実現させた勝海舟にも存する性向だそうで何だか歴史というものが、良くも悪くもある傑出した一人の人物のアタマの中で創り出され、それが決断され実行されて刻まれて行くものだということが分かる。そうしてそこには多分に一種のギャンブル性が潜んでいることも銘記しておきたい。個人の人生も、、、、。 「経営はギャンブルではない」 何より営みつづけることが本分であるのに一発勝負の賭け事感覚で一国の運命をそれ(ギャンブル)に長けた人物に託すというのはいかがなものであろうか、、、。と言えなくもないが、そういう側面が歴史の流れや個人の人生の重要な局面では必ずあるものだという覚悟も必要であろう。 ダグラス・マッカーサーGHQ総帥をして「日本の戦争は自衛の為であった」と言わしめた真実があるとするなら御前会議も日米開戦も真珠湾も歴史の必然と考えられなくもないけれど甚大な人的被害を生じさせる戦争の決断については半年とか1年、もしくは5年や10年のスパンではなく100年、200年の遠い目線が必要ではないかと思える。 歴史をふり返れば日本で戦争に負けたことも戦後の奇跡的な復興に大きく寄与しているかもしれない。 日本人は何もかも失くしてしまい、残ったのは国民の知恵と努力と勤勉とかの人的資源のみ。 いったんゼロベースに戻って初心から事を始めるというのは悪いことではない。 算盤ではないけれどーご破算で願いましてはー・・・なんて感じの再出発は心機一転、少しずつ以前からあったものを積み上げていくよりははるかに良いエネルギーを生み出すのかも知れない。 毎日の小さな決断についても何かしら人生の指針というものを持って行うのとそうでないのは大きく結果に差異が出るのではないか。 超一流の経営者でも易に頼ることがあるそうで、それは易が天命を知るのに早道であると同時に人の倫、天の道理、宇宙の法則に乗ったものであり浅はかな人の欲望やいじましい浅慮を吹き飛ばしてくれて結構ありがたいものなのだ。 モチロン誤用も多くあるが適正な人物に授けられた易的な素養というものが人生のさまざまの局面における決断の有益でない筈がない・・・と思える。 経営者の重要な仕事、資質として「決断力」というのがあって巷間これが重んじられるが即断即決、決断が早いというのが社長の能力を決める要素となっているらしい。 けれども無鉄砲に即決することが経営に良いとは思えない。 筆者の優柔不断傾向の正当化ではないが不決断という決断もあって良いのではないだろうか。 余計なことを議して余計な決断をして物事や事態を悪化させてしまったなんてことが結構あるのだ。 優柔不断という性格も、見方を変えれば選択肢の広さとも言えるし決断事項を暖める、決断の時期、タイミングを見計らうとい意味で、あながち悪い性質とも思えない。 「迷い」が悪いのは理解できる。即断即決が絶対的に必要で、不決断が最悪の事態を招くこともある。決断の問題は極めてデリケートな要素を含んでいて、日頃から深考しておきたいテーマである。 何と言っても不断の勉強とか、高い志とか純良で普遍的で万人が賛同するような価値観、人生観が良い決断の前提ではないだろうか。 ありがとうございました M田朋久 |