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■ 苦悩 | 2014. 2. 7 |
ドイツの文豪ゲーテの有名な作品「若きウェルテルの悩み」は人間の苦悩というものを考える時に良い教材になる。 失恋した男が自殺する物語なのであるが、若者の苦悩と激しい恋とその喪失が絶望的に苦しいものであるか・・・。 多くの年配者はもう忘れてしまったかもしれないが、欲望満々とした若い男のその苦しみは耐え難い心の痛みを生じせしめる。 筆者の人生もどちらかというと人と較べて恋多き人生と言えるかも知れない。深い愛と性の喜びと同時に激しい心の痛みをともなった大きな苦悩は何度も経験し、何とか乗り越えてきた。 本当に苦しかった・・・と記憶している。 今は殆んど忘れてしまったけれども、少なくとも50代までは続いた。 最近やっとそれらの苦悩からは解放されたように思えるが、まだまだ続くような気もしないではない。 或る意味、有難いことである。 生きる喜びの確かな名残りが、微かにまだ残っているという感覚で・・・。 数少ない筆者の友人にはこのような苦しみを味わったことの無い男もいてて驚きであるが別に羨ましくはない。 恋の喜び。 それはまた格別の喜びであるものの、その喪失感というのは物凄く辛い。 全く自殺したいくらい辛い。 しかしこれを味わえずして人生と言えるであろうか。 色事の話しなので、件のゲーテ先生も稀代の俗物であると蔑まれたとも批判されたらしいが本物の恋愛というものは或る種生命がけみたいなところがあって、著名人の情痴話は近頃メズラシクはないけれど、情死となるとあまり聞かなくなった。そのような恋愛についての軽い扱い、つまり命がけみたいな感覚の減弱が必ずしも良いこととは思えない。 何故なら何かしら人々の生命エネルギーの低下傾向と感じられるからだ。 個人的にはかつて苦悩というと恋愛のソレが殆んどであったので、今は苦悩というものがあまり無いと言えるがこれはチョット寂しい。 「もっと高尚なことで悩めヨ」と自分にも言いたくなるが仕方が無い。 人間は年を取るのだ。 衰えというものを受容しないワケにはいくまい。 それら(性的な問題、恋愛の問題)とは別に人間の苦悩を少し分析してみたい。 多くの人間の苦しみが欲、それも我欲に基づいていることは薄々感じていることではあろうけれど、自分の欲望が自分を苦しめている・・・ということに明々と気づいている人はあまり多くはないような気がする。 欲イコール「与苦」と言えるのだ。 我欲を捨てることができれば多くの苦しみは止む。 それ以外の苦悩は、人間それぞれ多彩で特有でユニークであると信じ込んでいる、、、思い込みがその原因であることが多い。遠景すると殆ど陳腐でありきたりで平凡そのものであるのに、、、。失恋の苦しみのように、人間のそれは全く大昔からオソロシクワンパターンであるのだ。 思い込みは固定観念とも呼ぶが中には信念という、多少耳触りのよい表現もあって、思い込みそのものを肯定する傾向も一般的にはよく見られる。 その思い込みが自分を縛り、苦しめ、少しも楽しませず。自由にもせず、幸福にもしないというのにそれにしがみついている人の何と多いことか。 このことは説明してもナカナカ理解してもらえないことが多い。 「アナタの苦しみの元はアナタの思い込みですヨ」 とお伝えしても大概キョトンとされるか、中には憤慨される方もおられる。 若い人でパッとしない人の特徴に人の話を聞かないというのがあるが、これは自らの短い経験と僅かな知識とマチガッタ情報に基づいて生きているワケで、不運不幸の人生を歩むこと受け合いである。 筆者の見解では若い時に幼稚で浅薄な「自分の考え」や「信念」など持たない方が良く、人の話を素直に何でも受け入れ挑戦してみて、明朗で元気に振る舞っていると周囲の人から可愛がられ色々な知識や智恵、情報を得ることができ、ヒョットしたら誰かしら立派な人との出逢いやめぐり合わせによって思わぬ幸運幸福に自然に導かるかも知れない。 少なくともどうでも良いようなツマラナイ苦悩は減ると思われる。 「自分は学歴も知識もないし人様の話を素直に良く聞いて行こう」と心に決めて尋常小学校卒で世界のパナソニックの創業を果たした松下幸之助氏の「素直道」は有名である。 と同時に若い人に向けたひとつの偉大な生き方を示してくれている。 割と重大なメッセージであろうと思える。 自己の欲望、感情、理性(思い込み)。 これらに執着拘泥している限り苦悩は続く。 有害な思い込みはすべて捨て、一種愚者のようにバカ素直で明るくしている方がどれだけ人生に有益であるか知れない。 苦悩は恋愛だけにしましょう これが筆者の意見である。 それにしても人間の多く、特にお医者さんとか高級官僚とか所謂インテリと呼ばれる人々には、思い込みの激しい人が多いようだ。 以前はその著書のファンであった和田秀樹という精神科の先生でタレントでもある「頭の良い」人の著書「医学部の大罪」を読んだが、これは「医者に殺されない47の心得」の近藤誠先生のご著書と同様、医学部のみならず医学界イヤ社会全体へのインパクトを与える奇書とも言えるシロモノである。 ・・・けれども筆者の場合医学部というところで医学教育を受け、とりあえず免許証をもらって30年以上仕事をさせてもらっているのでお世話になったという印象と、母校(東海大学)の校風が自由でのびのびとして教育内容も結構レベルが高い?・・・のを感じているので普通の医学部がそんなものかなぁ、知らなかった・・・みたいな感想を持った程度である。 よくよく読むと前記両著者の先生も実際に医学部でお世話になり、実際に日本の保険医療制度の中で育まれて来た筈で医学部、日本の医療について功罪は相半ばするぐらいではないだろうか。 何のかんの言っても世界でも高いレベルの医療を安価に享受できているワケであるから多くの日本人はそれ程強烈に不満を持つべきではないのではないかと思える。 これらの問題は国家、国民、マスコミ、医学界などさまざまな側面から検討しなければならないテーマで、日本の医療制度を含め改善すべきところはあるものの何かしら強烈なイデオロギー、新興宗教のような論説には素直に同調できない。 物事は理想と現実、心理と実人生くらいのバランスを欠いた言い回しというのがお医者さんや一部の官僚に多いというのはひとつのエリート病ではないかと思える。 開業医の中にもこういうタイプの方がおられて、一般の人も惑わされ少しく迷惑である。 徳洲会の徳田虎雄氏なども医療界の異端児、カリスマではあられたのであろうけれど、これまた遠景するとひとつの狂信者のようにも見える。 物事を考えれば考える程苦悩はつづくなぁ〜。筆者の思い込みっていったい何なんだろうか?このような自問自答そのもが苦悩を引き起こしているのかも知れない。 ヤレヤレ。 ありがとうございました M田朋久 |