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■ 運 | 2014. 1.23 |
運について書かれている自己啓発・成功哲学の本は多い。 HISの社長で最近長崎のハウステンボスを黒字化させた澤田秀雄の著書「運をつかむ技術」はご自身の講演をハウステンボスでお聞きした時に買って読んだが、あまり大したことはなかった・・・けれども「人間のすべての元は元気である」というシンプルなもので運をつかむ技術として一言で言うと「自分が元気である」ということらしい。 所謂、成功者からあらためてお聞きするとありがたく感じないでもないが「な〜んだ、そんなことか」なんて感想をお持ちのことが多いのではないかと思える。 ところが、やはり物事は少し突き詰めて考えるべきで元気と運とは深い関連があって元気でないと運がついて来ない。 元気の反対語が病気と仮定すると、その種類にもよるが病気であることそのものが即ち「運の尽き」みたいな側面もあり、元気イコール幸運とも言える。 「運が良い」とはどういうことであろうか。 色々な成功本を読んでいると運はマネジメントできると書かれているし、多くの成功者の人々が「自分は運が良かった」と謙虚にもおっしゃる方が多くて、運というものが成功することへの絶対条件ではないかと思えるくらいである。 筆者は大学時代の後半頃より、人からやや断定的に「運が良い」と判じられる、直言されることが多くなって、その根拠を実際にそうと言ってくれた先生や友人に尋ねたことは無かったけれど、齢60にしてあらためて自分の人生の来し方に思いを馳せる時に、ナルホド「自分はなんて運が良かったんだろう」と思える出来事が数限りなくあって、何かに、何かしら目に見えない世界に対して手を合わせたいくらい感謝の気持ちでいっぱいになることが時々ある。 これは色々な人に相談してもナカナカ明確な返事・解答はもらえず、自分なりに考えてみた時に、易学的に検討してみるとやはりご先祖の余慶が一番ではないかと思える。 易経の言葉に「積善の家には必ず余慶あり、不積善の家には必ず余殃あり」とあり、多分に自分の幸運幸福の大部分がご先祖の人々にかなりの積善の行動があったのではないかと推測される。 つまりそれらの余慶でもって今の自分の存在、それも有難くも恵まれた境遇がある・・・と最近は確信している。 ・・・であるので我が子孫の為には、即ち子供たちの為にはキチンとした教育を与えると同時に自分自身の善行も積まなければならないということになる。 これは人生の指針として割と健全でもあるし、倫理的でもあるし、自分の考え方にも即しているのでできる限り仕事やプライベートの付き合いなど問わず、生き方そのものが世の中や周囲の人々、世界に善良なる影響を与えるように人からfeed backしてもらったり、本を読んだりして軌道は外さないように心掛けている。 目の前に自分の助言や援助で助かる人がいればあまりためらわず、出来るだけのことを無理なくさせていただいているようにしている。 運というものを考える時に昔からある寓話や童話などでよくある物語は、善なる心で善なる行為をして、その結果素晴らしい黄金を手にする一方で邪悪な心で悪い行いをして黄金を得ようとした結末がその個人にとって最悪だったなんていう筋書きはこれらの類の物語の定番となっている。 「情けは人の為ならず」 この言葉の解釈は色々あるが、運的に考えると情けをかけることがその人の為にならない・・・という意味ではなく、めぐりめぐって自分のところに返ってくるという意味であろうと思える。 家に金蔵が立つと言われれば「無財の七施」などもこの理屈を如実に物語っていると思える。 親切な行為が逆に仇となって返ってきて果ては殺されてしまった・・・とか、大きな情けが逆恨みになったり詐欺に遭ったりすることもあり、これは事件もののドキュメントで結構出てくる不思議な現象であるが、それでも善心善行、親切、性善説などを貫いた方が普通のレベルではどうも先祖や子孫云々よりも個人の実人生にとっても良果を得られるようである。 運は金運・健康運・家庭運・愛情恋愛運・子供運などに分類され、クジ運・勝負運・ギャンブル運・投機運なんていうのもあるらしい。 それらについてひとつひとつ分析して研究したワケではないが、色々と本を読み重ねていくとどうも心理的には無心無欲、平常心というものが運をよくするのに好もしくて、あせり、焦燥、被害者意識、欲求不満など行動的には他罰他責的生き方、愚痴や文句、悪口などのネガティブトークなどや実際に詐欺行為や自傷他傷を問わず傷害行為はモチロン訴訟行為なども正当な理由が無く欲だけであるとあまり運の為には良くないようである。 トイレを汚すとか公園や墓地、駅、学校、病院などの公共施設を汚すのも良くないので掃除好き、清潔好きは少しく運が良かったりするそうであるが、筆者の経験ではそのようなことはあまり関係なく、 男性の場合、特に積極的で明るく元気、素直な性格で笑顔の美しい優しい人がどうも運が良いようである。 多くの人に愛されるというのは幸運、特に金銭の運に良さそうに思えるが案外そうではなく、チョット気前が良く純粋に人を大切にする、愛することのできる人が運が良いように思える。 またそのような人々は大概心身ともに元気であることが多いが、やや虚弱の人であっても上記の傾向、つまり人に対して深い愛と感謝の念の強い人はどうも運が良いようである。 先述したように運の良いと言われていた時期は大学の5年生頃がはじめてで、父親の急死の為に帰省しその喪中の期間実習を休んだ為、当時副院長であった担当外科教授は「あの学生(筆者のこと)は絶対落とす」と息巻いておられ、学業成績は頑張って結構優良であった筈であるが、結局落第して5年生を2回することになり、母親からすると夫の急逝と息子の留年という経済的にダブルパンチを受けた状態であった。 その上、実習態度・学習態度が極めて悪いし、そもそも学校には実習以外に殆んど行かなかったという悪評判。 ここは一念発起して自ら態度教育するべく自己啓発・ビジネス本を買ってきて宵は言葉などの標語にしてアパートの壁中に貼り付けて復唱し、実習に出かけたものである。 その時によく記憶しているのが仲間を大事にすること、礼儀礼節を重んじる、教授以下先生方を敬い、挨拶や笑顔を欠かさず、心構えは明るくノーテンキにしていたら患者さんや助手の先生の評判も良くなり、おかげでかなり楽しい大学生活であった。 そうして運の良い顔になったのであろうけれど、母親の篤い信仰心とかも手伝って何だか多くの人に支えられ守られているような錯覚というか実感も得られて精神的に充実した2年間であった。 筆者の経験では運をマネジメントすることとは自分の精神を高めること、魂を磨く為の努力をすること、人や神仏に対して畏敬と愛の念を強く持つこと、それらを正しく表現することであろうと考えている。 ついでに「神様は上機嫌がお好き」とあるように人間の不機嫌も折角の運気を損なうらしいので「機嫌が良い」、その為に「気分が良い」ことも運気を高めるのにとても大切な要素であろうと思える。 ありがとうございました M田 朋久 |