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■ あけまして・・・ | 2014. 1. 7 |
平成26年1月1日。 こちら九州ではスッキリとした晴天がつづき、風も無く暖かいおだやかな年明けとなった。 絶好のバイク日和であったけれど、今年は昨年末より恐ろしい程の寝正月。 夜寝たのに目が覚めたら夕方だったなんて感じの所謂「寝正月」の毎日。 本も読まず考え事もせず、ただ猫のようにクタ〜ッと食事もロクにせずに寝てばかりいたら、おかげで暮れの疲れが消し飛びはしたが、何かをやり遂げたというような充実感も無く、少しの憂いと悲しみ、どうでも良い考え事が脳裏を交錯して人間というのは猫とかと比べて厄介なモノやなぁ・・・なんて感覚であったけれども1月4日土曜日に半日だけ仕事をして翌日曜日に色々な買い物をしていたら、何だか頭もスッキリして来てやっぱり長い休日よりも適当に仕事をしていた方が生活のリズムも体調・脳調・心調も良いようである。 空虚で幾分鬱気を帯びたいつもながらの年末年始もようやく明け、本当の意味での「明けましておめでとうございます」ですなぁ。 心の中の違和感もテレビを観ているとイヤ増す。 昨年末の安倍総理の靖国参拝とお正月の天皇陛下の一般参賀の国民に向けたお言葉とNHKの報道・・・といずれも国家としての日本の立つ位置の微妙なズレを感じとってしまったワケで、それが一体何であるのかを少し考えてみた。 天皇陛下のお言葉の中に平和というお言葉は無く、安寧というお言葉を使われたことが妙に心に引っかかる。 確かに平和という言葉は戦争という言葉と対比され、まるでコインの裏と表のようなものと受け取られるご懸念から敢えて安寧というお言葉を選ばれたのであろうけれど・・・。 今の日・中・韓の緊張状態はいつまで続くのであろうか・・・と気が重くなるが、ついでにその日の同じNHKのニュース番組で、まるで「緊張」を煽るかのような報道がなされることに強く違和感をおぼえたという次第である。 渡辺昇一氏と百田尚樹氏(『永遠の0』の作者)との対談で第二次世界大戦の端緒となった支那事変、インドシナ侵出、それにつながる真珠湾攻撃と一連の戦争への道すじに新聞を中心とするマスコミの責任、即ち戦争突入へ国民の意識を煽ったことについて言及されていたがもっともであると首肯したい。 現在のマスコミ各社、朝日・毎日・読売・日経の新聞各社と共同通信、時事通信など通信社とNHKを中心としたテレビ・ラジオの報道がこぞって日・中・韓の「仲の悪さ」を強調しているし、そのような中韓両国政府の報道官のアナウンスをそのまま流して、それについての対応を論じているか、そもそも民間レベルでの交流において我が国を含めこれらの国々とイザコザがあったなと話は全く聞かない。 これは開戦前の日米間にもあったようで政府とマスコミが同時歩調か、ややマスコミ優位で「対立」することへの論戦を張り国民一般大衆がそれに乗り「怒っている」状態を創り出している・・・かに見える。 これは筆者のようにテレビニュースを意識して観ない人種にとって、テレビニュースを鵜呑みのしている人々との会話で、後者の人たちのコーフンぶりを思うにそのことを懸念せずにはおれないのだ。 相も変わらずマスコミ脅威論、マスコミ亡国論というものを書いているワケであるけれどもNHKについては何かしらの悪意がある・・・もしくは何かしらの思想的偏りを感じるし、何とはない恐怖を感じてしまうのだ。 ・貧富の層の拡大 ・民衆の不満の蓄積 ・反政府運動 ・ナショナリズムの高揚 これらの不定的感情が複雑にからまり合い「戦争」へと突入していく大衆の意識を止めているのもテレビなのかも知れない。 テレビはラジオと異なり感情を冷やす効果もある。 NHKでどんなに国民の恐れや怒りを煽られて、国民感情も各種のバラエティー、お笑い、クイズ、ドラマでエセ現実にひきもどされ高まったナショナリズムも瞬間的に消してしまう効果もあるからだ。 皮肉なことである。 流行語大賞なるものがあって去年は、 倍返し お・も・て・な・し 今でしょ じぇじぇじぇ だそうであるけれど、これらも全部テレビ番組や報道、コマーシャルから出たものである。 今やテレビ中心時代も人々は何の違和感もおぼえないし、それが当然のように受入れられる。 何だかオソロシクもあり呑気でもある。 筆者の娯楽の中心も今やテレビのスポーツ番組観戦になってしまった。 「モヒート」というカクテルをチビチビ飲みながら猫と一緒に観る。 テレビもまた最高のくつろぎである。 うたた寝とチョイ酒、バイクのチョイ乗りと60才になった初めての正月が安楽に遊惰に流れていく。 色々言っても世の中の流れを変えるチカラは筆者にはなく、ましてや大衆、世論、世界の趨勢を変化させる影響力を持っているワケでもないけれど・・・。 何十億分の一の影響力を行使するべくこうして正月もめげずに筆を執っている次第である。 ありがとうございました M田朋久 |