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■ 靖国神社 | 2013.12.29 |
平成25年12月下旬の安倍晋三現総理の公式参拝が内外に波紋を投げかけている。 意外にも米国政府の公式参拝に対する批判もあったりしてアジア情勢、ことに中韓との国際関係についての憂慮がその直因と思えるが、どんな本心なのかは不明である。 意外なことに靖国神社の歴史はそれ程長いものではない。 明治2年に維新の立役者の一人で軍略家であった大村益次郎の提案で明治天皇より勅許が下され明治6年に東京招魂社として竣工されたとのことである。 戊辰戦争をはじめとする明治維新に功績のあった軍人やその他の関係者を祀りはじめたことから多くの内戦や日清・日露の外戦、第一次・第二次世界大戦、日中事変、大東亜戦争など主に軍部に関係する人々、即ち軍人・軍属とそれに関わった人物で天皇を中心とした国家側の人々に対してそれを顕彰する為に創設されたとのことだ。 筆者の実家は神道で宮司が本職で、その神社の歴史は1200年と古いが、それと比べたらますます新しい神社であるということが分かる。これは重ね重ねであるが全く意外な事実であった。 東京招魂社は明治12年にその名称を変えて靖国神社となった。 所謂、靖国参拝が問題になるのは主に中国・韓国であるが、最初にそのことについて不快感を示したのはシンガポールの要人であったらしい。 アジア諸国、ことに先述した両国については侵略戦争と領土被支配国としての屈辱感もあり、日本に対する被害者意識が理解できないワケではないが、それでも言わば他国の軍属・軍人の鎮魂・招魂について堂々とイチャモンをつけるのは、いかがなものであろうか。純真な忠国の民を弔わない国家の首脳こそ責めや辱めを負うべきではないだろうか。またそれが他国の忠臣忠民に対してであるならば一緒に哀悼の意を表明しても良いくらいだ。 日本に対する戦勝国である、米英の首脳のこれに類する行為ならば、普通の日本人であれば殆どの国民や政府も同じように深い哀悼の意を相手国に伝えるに違いない。原爆投下や大都市への無差別絨毯爆撃をされた国民であってもだ。これは中国や韓国の人々に対する態度でも同様であろうと思える。 それが日本人の感性であり良識である。 一国の総理大臣の参拝がもっと重い意味を持つ国家的・宗教的行事であるなら、尚更、戦争が起こってもおかしくないような第三国の暴言であると思える。 国家の宰相の靖国参拝を暴挙と呼ぶなら、品のない暴言も差し控えるべきであろうし、国際問題としても前記した二国の政府については、より大人の良識・常識を求めたい。少なくとも真の文化国家、先進国でありたいと考えるならば、、、、。もともと両国とも孔子や孟子や老子を生んだ立派な精神文化先進国であり、それを実践している儒教国家なのであるから、、、。 靖国公式参拝は、ドイツ国民の代表である首相が公式にアドルフ・ヒトラーの墓参りに行くというのとはワケが違うのである。 中韓両国にとってはそのような感覚かも知れないが、国の首脳が国に生命を献じた人々を正式に弔うのに何のためらいが要ろうか。 堂々と参拝して良いと思うしするべきである。ここは是々非々をハッキリしておいた方が子々孫々、後々の世代、末代まで伝えておく大切なことである・・・と思える。 筆者はご先祖の墓参りをする。 実家の神社参りをする。 そうしてそれらの行動を配偶者にも課し、子供たちにも見せるし、させる。 これは日本人の伝統であるだけでなく世界中の先進国の習慣である。 それを国家レベルで行うだけであるのにそれは表立って批判することの方がオカシイと思える。どんな立場であれ、人間としてオカシイ。 他国の人々、特に為政者やマスコミは一体何を脅えているのだろうか。 靖国神社に相当に大きい霊的なチカラが宿っていると思っているのだろうか。 確かに日本国の為に「靖国で会おう」との合言葉で潔く生命を献じた英霊たちが強大な霊的なチカラを有し、日本国を守り繁栄を築き上げる国民の精神的支柱となっている・・・というより、その霊力そのものを恐れているのかも知れない。 ことの真偽は不明であるが、このような霊的な行動が何かしらの強力強大な力を生み出すという考え方は世界中の多くのエスタブリッシュメント及び国家要人達の常識となっているという説もある。 日本をないがしろにする、籠絡しようとするには、まず靖国神社をおろそかにさせるという政治的な策略があるのかも知れない。 筆者自身も、一日本国民として日本国の未来を思う時に靖国神社に参拝するべきなのではないかなんて考えるようになった。 日本の未来をどのようにしていくかと積極的に考えた時に、まず霊的な問題、即ち靖国神社を抜きにしては考えられないからである。 ありがとうございました M田朋久 |