[戻る] |
■ 共同生活 | 2013.12.14 |
もともと動物が苦手であったのであるが、色々な出来事や見聞が重なってついに猫を飼うことになった。 以前、当科の代診のドクター(女医さん)が無類の猫好き、NHKアーカイブズ・ネコ大百科、「ネコナデ」というTVドラマ等々、猫にまつわるさまざまな情報やめぐり合わせが筆者をして猫を飼わしめる事態へと向かわしめているようで、ここは流れに逆らわず素直に、思い切ってチャレンジしてみたワケである。 無理なら受け取ってくれるという知人も確保して・・・。 であるので恐る恐る清水の舞台から飛び降りるほどの勇気を要したと言えるかも知れない。 何せ生き物を飼うということは大変なことである、、、と思っていた。 以前も書いたように自分の世話さえ満足に出来ない人間が動物など飼えるワケがないと諦めていたところ「猫は簡単ヨ」なんて誘惑言葉もあったり、TVドラマの猫による心癒されていく堅物真面目なサラリーマンの物語ネコナデをみたり、NHK特集番組においてヘミングウェイや夏目漱石、近々の村上春樹の猫好きにあやかって自らも大作家を心密かに目指しているので、ここを思い切って・・・というような経過で11月の下旬にとうとう牝で生後4か月のアメリカンショートヘアを10数万円はたいて購入することになった。 ローンで買ったから名前はロンだ。 猫種はどうでも良かったのだけれども、飼いやすさや可愛らしさで人気があるらしい。 何と血統書もついている。 「どこの馬(猫)のホネか分からん」という類の雑種ではなく、由緒正しい純血種の猫様であるらしい。 多分、筆者の思い込みであろうけれど、どことなく気品も感じられるし頭も良さそうである。 モノグサな筆者は、水と排せつの世話を時々するだけであとは何もしない。 犬のように散歩したり洗ったりしなくて良いのは助かる。 時々遊んだり撫でたりするだけである。 こうして始まった猫との共同生活。 実のところ今でもやや気が重い。 「誰」かと一緒に生活するということにどうしても気疲れするのである。 猫に対してでさえ気を遣ってしまう。 お腹の上で気持ちよさそうに眠っていると、起こさないようにジッとしていたりトイレを我慢したりもする。 出かけたくても身を寄せて眠っているのを思い切って跳ね除けることができない。 仕事や外出の時も「今頃淋しくないだろうか」なんて心配してしまう。 まるで「ネコナデ」の主人公、小木茂光演じる45才の鬼人事部長になった気分である。 我ながら情けない。 たかが猫ごときに心惑わされるなんて・・・。 共感できない読者もこのTVドラマを見られたら筆者の心情を少しは理解できるかも知れない。 アニマルセラピーという心の治療法があって、結構癒しの効果が高いことは知っていたけれど・・・。これは癒しどころではない。愛そのものである。 またペットロス症候群という心の病気もあったりして、筆者にとっても大きな学びのステップが訪れるかも知れない。 自由を愛する人間にとって猫はあまり束縛をその飼い主にさせない。 猫自身が気まぐれでワガママで自由であるかららしい。 人間の心を巧みに読み、機敏にしなやかに動き回るさまは「ただ者」ではない・・・と誤解させるチカラも持っている。 「ペットは犬」という思い込みを見事に打ち砕いた我が猫との共同生活体験である。 共同生活と言えば家族、それも夫婦、男女、親子であるけれど、これは結構お互いの忍耐と口論と経済的背景を生じせしめるもので、この微妙なヤリトリは結構心理的にも面倒臭い。 これらに嫌気がさしたワケでもなく、一人暮らしが淋しくてタマラナイという理由も無く、自然に生じたこの子猫との共同生活も、我が2回の結婚生活のようにハッキリとした理由が結婚は性欲亢進による「恋の盲目」状態によって引き起こったハズミのような事件である一方で猫とのソレは明らかな理由の無い完全なめぐり逢いであるので、ミャンミャンと思い切り甘え上手の我が愛猫を思うに、どこかしら物悲しくもあり、そこにニヤついている自分が情けなくもある。一緒に過ごす時には片時も筆者の側を離れず、その小さな痩せたカラダを摺り寄せ、時に口づけをねだり、顔をおしつけてくる。名前もロンリネスのロンかも知れない。ことによるとペットロス症の完全な予備軍だね、、、、これは、、、。トホホ。 ありがとうございました M田朋久 |