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■ 愛性問題 | 2013.12.12 |
愛と性の問題ではない。造語である。 愛情と相性の問題について少し書いてみたいと思う。 筆者のクリニックでは生い立ち分析と家族分析、職場分析というものを時々試みているが、その根底にある考え方の最大のものがこの愛情と相性の問題である。 この場で症例を語るワケにはいかないので、筆者自身の体験を例に挙げて説明してみたい。 筆者の両親はとても子煩悩で、とても愛情深く、普段は性質の穏やかなやさし人柄の人々であったけれども、筆者との相性は今考えると最悪であった。 とにかく感じ方考え方が、殆ど折り合わない、噛み合わないのだ。 結果、少年時代、それも小学校の時代は家出ばかりしていた。 イヤ家出せざるを得なかったのだ。 生命がけで・・・。 このあたりの心の実感は、弟や妹に殆んど見られないようで、これは最近分かったことであるけれど、要するに「相性」の問題であったのだ。 実際に弟や妹には両親に対する屈折した感情を持っていないようで、筆者のように恐怖と愛情と感謝と束縛感と孤独と憧れとかのいろいろの複雑な感情は、同じ兄弟間でも全く違う性質であったことを自らの最近の研究とインタビューによって知り得た。 具体的には、夕方の家族の団欒における強烈な恐怖感覚を今でも時々思い出す。 酒乱の父親がいつ何時暴れ出すか分からず、できるだけ早く食べてしまって二階の勉強部屋に上がることをめざしていたので、食事の味など分かろう筈も無く、今思えばそのオフクロの味が結構美味であったことを知った。 座敷には縁側があり、外には松や杉や木蓮の植わった小さな日本庭園。 床の間を前にして家族五人が、まるで昔のホームドラマのように畳の上の和テーブルを囲み食事をするわけであるが、父親の「チャブ台ひっくり返し」はしょっちゅうで、何の前触れも無くいきなり夫婦喧嘩が始まり、何の理由も無く説教され、理由もなく殴られるので子供(自分)としては理不尽そのもの・・・たまったものではない。 その上ゆっくり眠っているところを酔っ払った父親が帰ってきて起こされ、再び何をされるのか分からないのでオチオチ眠ることも出来ない。筆者のしつこい不眠症はこれが原因に違いない。少しでも危険を察知したならば、二階のトイレの小さな窓から深夜の屋根瓦づたいに抜け出して、家の外に降り立ち、夜の街をさまよう・・・みたいなことを子供のくせにしていたワケである。 こういった生い立ちの為か、家族の団欒とか和テーブルについては今でも抵抗というかトラウマがあり、心からくつろぐことができないでいる。 そのうえ中学からの寮生活では集団で、刑務所のそれのようにみんなで一斉に食堂で食事をするので、みんなで食事をする・・・ということにも凄く抵抗があって、必然的に一人で食事をすることを最良最善とする大人になってしまった。 「みんな」というか友人知人、仲間については何のうしろめたさもないけれど、自分の家族に対しては少なからず罪悪感があって、長い間子供たちに、父親不在の食事を強いたワケで、時々自分が父として帰っても、家族全員が、まるでお客さんか親戚の叔父さんのような応接で、一緒に食事をすることはこの20数年間でほんの数回であった。 子供たちへの愛情の深さについては人並みに自信があるものの、それらの表現は、こと食卓においては自身の父親よりもダメオヤジそのものである。 このような心の状態に何故なってしまったのかをあらためて突き詰めてみると、やっぱり相性の問題しかない・・・と確信してしまう。 何故かというに両親との相性の極めて良かった弟や妹にはそれらの傾向が全く無いからである。また両親の自分に対する愛情と自身の親への信頼は絶対で微塵も疑いを抱いたこともない。 つまり愛情と相性は人間関係において、特に家族間では全く別の問題であるということである。勿論夫婦間でも同様で、愛情とか忍耐だけではどうしても解決出来ない問題が生じ得る事を、多くの人が知っておくおくことが如何に有益であるか図り知れない。 このように人生に深く影響を与えるのは、親と子の相性と親か子へ与える愛情の問題であるのは間違いない。 しかしながら相性が良いから結果が良く、悪いから悪い結果になるとは限らない。根底に深い愛情と正しい知恵知識が存すれば、相性の問題は確実に克服できる筈だ。実際は多くの実例は相性の問題を考慮されていないので、本人の知らない間でもい、所謂心の深いトラウマとなって人生全体に深刻な影を落とすことが多いようだ。 結果的には男児の場合、母親との相性が悪い方が結果は良く女児の場合、父親との相性が良い方が良いという印象を持っている。 男は女性の愛情を獲得する為に甚大な努力とエネルギーを要するという強い自覚は人生行路を歩む上で結構大切であろうし、一方、女性の場合、男性という者が、割とお気楽で単純でイージーな存在と感じることは、異性交流を通じてその人生を形成しなければならない傾向を持たざるを得ない女性の人生にとって有利な感性であろうと思える。 逆のケースでは、男は人間関係で適度な緊張と工夫を要さないので努力をしないという怠惰な傾向が生じ、女児の場合、愛されようとして必死に頑張るけれども実らない為に、性格は歪むが美人になりやすい。 何故なら多くの人に愛される為に美しく存在しなければならないという生命がけの動機があるからである。この理論は、ほぼ100%に近い確率で証明できる、いささかの自信がある。 ただし根底に親の側の深い愛情と心理学上の正しい知識と知性を持っていればこの相性の問題が克服できることもあるが、多くの場合、相性のメカニズムどおりの人生を歩まれるようである。 筆者の行っている易学セミナーで深い知識を得れば何とかなるものであるが、殆んどの方々は中途半端な知識、情報で満足されるか大きな誤解を残したまま「卒業」されるので、心の根本問題の解決をみないまま相変わらずそれを繰り返していかれるようだ。 こんなに毎日勉強して分かっているのに「家に帰れない」という事実によってもことの重大さが理解できよう。 この家族の相性の問題は一生つづくので、人によってはモッタイナイなぁと思うこともあるが、先日亡くなった島倉千代子の歌ではないけれど「人生いろいろ」で本当はどうでも良いのかも知れない。 ただし、心の問題を解決して大きく高く旅立ちたいと考えておられるならば当方の門をたたかれたらよろしかろう。 何らかのお役に立てる筈である。 ありがとうございました M田朋久 |