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■ がっかり | 2013.11.28 |
商売にしろ仕事にしろ恋愛にしろ家庭での人間関係にしろ、この人を「がっかり」させるのが最も良くない。それにしてもこのがっかり、結構多いものだ。自らの仕事や人間関係についてもそれがかなり存すると猛省中である。仕事ではともかく個人的にはプライベートにおける人をガッカリさせる能力については自信があるので、いつもながら自分は棚で話をします。 「がっかり」というのは、言い換えると「期待ハズレ」ということ。 成功の要諦は「常に期待以上である」ことと言い切って、高校卒の一JA職員から東京大学の教授を経て現在、熊本県の知事にまで成り上がった蒲島氏だ。 そこで、今の日本の世の中を見まわしてみて、思いつくままに「がっかり」を拾い上げてみた。 結果的に、この「がっかり」をできる限り減らしていけば、商売、ビジネスも、人間関係も、政治も経済も改善していくのではないか・・・とかなりエラソーに啓蒙的な意図を込めてコーシャクをたれてみた。 最近一番の「がっかり」はユニクロだ。 先日NHKの特集でユニクロの戦略、危機感が柳井正氏も「出演」されいて、生々しいアパレル業界の戦いを披露してあった。 めでたく総売り上げが1兆円を超えた日本一のアパレル会社、ユニクロも世界ではまだ第4位。 世界一はスペイン「ザラ」、二位は「H&M」、三位は「GAP」。 我らがユニクロはまだまだザラの半分以下の売上であるらしい。 ところが近々の日曜日は、ユニクロ店をのぞいてみたところ、さらにレジ前の行列が長くなっていたが、商品はと見てみると大いに「がっかり」であった。 夏にあった、あのオシャレで小粋で素敵な商品はひとつも見当たらず、残念ながら秋冬物は惨憺たる「がっかり」だらけであった。 素材はまあまあであっても、色とデザインが最悪。 これで日本一のアパレルと呼べるのであろうか。多くの国民の期待が大きいだけに先行きを心配する、、、、なんて思っているのは筆者だけであろう。 柳井正さんも経営者としては偉大なカリスマであられると思えるが、ことご自身のファッションと商品群とを含めよくよく観察してみると、タダのダサいオジサンのセンスで大丈夫かいなと、それを愛する日本人全体についても、余計なお世話かも知れないが、心配してしまう。アパレルなんであるからデザインと機能性、着心地、色、素材。それだけなんだけど。モチロン値段も。やっぱり商品でしょ。 隣の店の小さなプライベートブランドの方が値段がやや高めであったものの、余程オシャレであった。接遇は最悪だったけれど。この辺りのミスマッチこそ日本経済の大いなる問題の潜在を示しているのではないか。 そもそもユニクロの大躍進の原動力となった商品は、あの「フリース」。 「ヒートテック」・・・それだけなのである。 これらのバカ売れによって大いに売り上げを伸ばし儲かったワケであるが、その後「野菜」に手を出したりして停滞して、見事に復活、ファッションリーダーとしての地位を確立し、今夏にはそれをキチンと裸眼と手の感触で確認できたのであるけれど・・・。 今冬の商品は大「がっかり」であった。 何を考えているんだろう。個人的には普通のコットンの白シャツと白パンツが欲しかった、、、少なくとも綺麗な色目のそれらがあれば満足であったのであるけれど。ハッキリとそれらが皆無であったことは目視した。買いたいモノが全然無かった。 一気に伸びた会社というのは売ること、販売力にばかり目を注ぎ過ぎ、製造物販業の本質である商品力を忘れるようである。 先日のユニクロのNHK特集にもそれを感じた。 商品は置き去りで、何が何でも販売・売り上げ増を狙っているという風であったからだ。 製造業、物販業においてはその商品が生命なのではないか・・・。 医療における技術・知識と同じように・・・。 こうした「がっかり」は中小企業においては致命的であると思えるが、日本の大企業である自動車産業と電気機器産業にも言えることである。 最近の日本の自動車産業には「がっかり」は少ない。 そのデザインはともかく耐久性、機能性、均一性においては多分、世界一の商品力を誇り、これはその売り上げにキチンと反映されており、先日から開催されている東京モーターショーにおける夢いっぱいのワクワク感は見事である。 一方で電気屋さんはヒドい。 全くかつてのワクワク感とか夢がない。 一番の「がっかり」は修理が出来ない上、次々に繰り出されるマニアックな「新」商品の為に、昔の機種やソフトが全く使えなくなるばかりか、その耐久性の無さと使いにくさには本当に「がっかり」させられる。テレビの画質とか自動車の燃費とそれなりに大事とは思うが、消費者はもっともっと楽しいモノ楽しいサービスを求めているのではないか。 心躍るワクワクするような新しい商品が欲しいのだ。時流に流されてスマホや一部のモバイル機器だけに浮かれている場合ではない。 経営とは顧客の創造である。 、、、とあのドラッカー先生も仰言っておられるではないか。新しいアッと驚く商品とサービスを世の中に提示しなければ日本の電気少なくとも家庭電気メーカー存続発展は難しい、、と思える。 多くの男にとって、少年にとって電気屋さんは大人のオモチャ屋さんみたいな存在であった昔が懐かしい・・・と思えてくるほど「がっかり」だらけ。 日本企業における車と家電の経営的な落差。この明暗は消費者を全然意識してないことが原因しているのではないか、、、なんて考えてしまう。とにかくサービスは良い。商品がダメ。これが少なくとも今の電気屋さんの実態に思えるが、いかがであろうか?商品がダメだから、大手の家電量販店の景気も今ひとつであるらしい。 電気製品だって商売上はともかく、自動車のように故障せず低コストで修理がきくなど耐久消費財の原則を守るべきであろう・・・と思える。 たとえばSONYなどコンビニにDVカセットが必ず売ってあるのに、DVカセッットで写せるムービーカメラは数年前に製造もしていないし修理も出来ないとのことだ。これは消費者と生産者の意識の差異を明々と物語る事実である。 さらに日本の電気屋さんではないけれどMicrosoftやそれに追随せざるを得ないパソコンメーカーにもアタマにくる。次々と頼んでもいないのに勝手にヴァージョンアップをしてくれるものだから、昔のソフトが使えず周辺機器のみならず多くのソフトを載せ替えなければならなくなって困ったことだ。ことが趣味のレベルならまだ我慢が出来るが仕事でなら大問題だ。 壊れない商品、消費されない商品、買い換えられない商品というのは製造業にとってビジネス上致命的といえるのかも知れないが、消費者から見た場合の良い商品という悪い商品という意味では、社会全体から俯瞰してみると、大きなジレンマを含抱している。 安くて良い商品が消費者を満足させると同時に生産者としての消費者、つまり同じ国民市民の視点、少なくとも一般市民大衆労働者からすると、お互いを幸福にしないというカラクリができていて、一部の経営者だけを豊かにするシステムが自然に生まれ、激しい競争原理、市場原理に基づく今の経済社会では解決出来ない大きな矛盾が生じてしまっているようだ。これらの事態はいずれ豊かになった一部の経営者の人々にもジワジワと波及し、そこに何の悪意が無くても自滅、自己破壊への道が潜んでいるのではないか、、、と危惧するわけである。 話がそれたが、ビジネスでの数字ばかり向いてお客さんに向かないのは困る。結果的に数字も悪化する筈だ。 これは原理原則と考えている。 今後、商品力を高めなければユニクロは必ず落ちると見ている。この予測は当たらないことを祈りたいが、お客さんの長い行列だって考えてみれば完全におもてなしを忘れていると言えるのではないか。レジ前の長い行列とその商品には明らかな齟齬を感じる。 これで日本一のアパレル会社とは笑わせる。 お隣のお店は真逆の商品は良くてもその他サービス、おもてなしには相当「がっかり」だったので、すべてにわたって「がっかり」させない「期待を超える」ことを目標にすると日本の企業は必ず再生しアパレルも世界一になると思える。 あまりにも楽天的予測かも知れないが、、、、。 かつての高度経済成長時代には、奇跡のような期待越えが日本中にあったのだ。これは明治維新やその後に起こった日露戦争の勝利や戦時中のゼロ戦の活躍、戦後の目覚ましい経済復興などなど数え上げたらキリがない期待越えのオンパレード。多くの日本人の血みどろの努力が、日本の華々しい繁栄の歴史を作り上げてきたのだから、、、。 数字も大切であろう。けれどももっと遊び心でもって、がっかりではなく楽しい心豊かなビックリを期待したいものである。 ありがとうございました M田朋久 |