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■ いい女 | 2013.11.11 |
11月7日は「いい女」の日だそうである。 「1107」ただの語呂合わせ。 言い出した人の思いつき、出鱈目かも知れない。 筆者の自他ともに認める女好きの叔父は、生前「いい女だネェ」というフレーズをしょっちゅう口にしていた。 特に対象があるワケでも、意味があるようでもなく、単なる「口癖」のようであった。 その感嘆というか、溜息というか、ひょっとして対象の女性が何人かいて、そのご婦人方の耳元で囁いたり、その素晴らしい容姿や肉体を愛でて、思わず口にしていたりしていたか、あるいはただの儀礼的なお世辞だったかも知れないが、いずれにしても度々「いい女だネェ」と毎日口走っていた筈である。 さて「いい女」と言う表現は、男性から見たら最高の褒め言葉であろうけれど、女性の側の受け取り方はさまざまであろう。 人によっては不謹慎とか無礼とかに受け取られるかも知れない。 「女」「オンナ」という言い方は、一種猥褻な言趣を醸し出し、それは多分に性的な対象としての表現であるので「そうでない」と言う風に自他共に認めておられる女性にとっては少しく耳障りな言いまわしかも知れない。 さて「いい女」とは? どんな女性で、どんな特徴を有するのであろうか。 このことをいつもながら筆者の独断と偏見で分析的に記してみたい。 男から思う場合、その一番の特徴は性的魅力の高さである。 これは多分に男性の側の好みもあるし、相性もあるので、肉体的、人格的に特定することはできない。 また、女性から見た「いい女」と言う表現は普通なされないし、たとえそのような表現が会話の中にあったとしても、恐らく全くの評論、噂話の範囲に限られ、女性特有の思い込みもあるので案外的ハズレであったり、見当違いであったりして、多くの男性の評価が全く「いい女」でなかったりするので、ここでは主として男性の側の一般的な好みを中心に考えてみたい。 江戸時代の常套句的な表現を借りれば、昔の「いい女」とは「小股の切れ上がった・・・」という形容詞、枕詞に代表されるように、柳腰、細い腰に足首のくびれた・・・具体的にはアキレス腱のあたりのキレ、即ち足関節からふくらはぎにかけてのラインの美しさや緊張感にいてのこだわりは、万国共通であろうと思える。 筆者自身は足首についてこだわりがあるとは今まで考えて来なかったけれども、主に性的感度の判断材料として大昔から多くの男どもは足首に着目したワケであろう。 婦人雑誌などを眺めてみると、ダイエットというとウエストやヒップ、太股、ふくらはぎなどを全体的に細く小さくしようとする意図を感じるが、それよりも男目線ではウエストはともかく、もっと足首に神経を使った方が良いと思えるが、いかんせんここを美しくする努力をしている女性は少なく、またそのような女性は「いい女」の証拠であるので、結果も意図も足首に「いい女」の特徴が現出されるようだ。もちろん立派な「見かけ倒し」の方もおられてこのような理屈にも、ちゃんと例外があることは付言しておきたい。 このような文脈からすると「いい女」というのは多分にフェティシズム的な表現になるけれど、その性的感度の良さと見た目の良さの融合された、男の欲望の対象としての見方があるので、これらの側面から考えると「いい男」と同じように「いい女」もそうでない男女も特段自慢できるようなその個人の努力」に関係の無い個性であるので、あまり気にすることはないと思える。 ただし、それらの色事に精通している人々にとってはいずれも極めて重要な要素であるとも言える。 これ以上に肉体的な特徴を書き続けると、女性の読者の顰蹙を買いそうなので、ここは「足首」にとどめたい。 次に精神的、人格的な特徴を述べておきたいが「いい女」は「気が強い」という特徴を有すると考えている。 これは性的感度と能力にも関係してくるが、表面がいくらおっとりと優雅で呑気、ノーテンキに見えても、緊張感とか内面の激しさ、強さを内に秘めていて、それがいつかどこかで爆発するのではないかというキリキリとかピリピリとした緊張感が仄かに見え隠れする・・・という特徴を有すると思える。 これは「いい男」にも言えることで、これに関連して「アタマの良さ」という要素も挙げておかねばなるまい。 アタマの良さと言っても決して学歴とか学業成績とかには反映されない地頭と言うか、人間知というか、感性と言うか、世事に長けたというか何かしら総合的な頭脳の明晰さを指す。 そうして読者の方には意外かも知れないが、何かしら倫理的な「善良さ」みたいなモノも「いい女」の持つべき資格であろうと思える。 そうでなければ、その女性は悪女とか魔女とか、何かしら良からぬ呼称を冠せざるを得なくなる・・・。 この最後のファクターが或る意味最も大事で、悪女といい女の差異であり、或る種の正義感みたいな性格特徴、心根の優しさとか、男顔負けの義理堅さみたいな傾向も、所謂「いい女」の特徴と思える。 もっと抽象的には「品」がいいこと。これはきわめて奥ゆかしい表現で、これが良くなければ他の要素がいくら完璧であっても決して「いい女」と呼称することはできない。結構厳しい美的基準で、意識して自己を律する必要があるかも知れない。 さらに多くの男性にとって「いい女」とはこと性的傾向について極言するならば、「オモチャ」になれる女性が最良最高であるらしい。・・・であれば足首もアタマもヘッタクレもなく、すべての女性が「いい女」になれるポテンシャルを秘めていると考えてよい。 どんな醜女であってもどこかしら必ず美しい部分があって、男性を喜ばせることができるそうである。逆から考えると、目のさめるような美人であっても自らをオモチャにして男を喜ばせることをしない女性はいい女とは言えない・・・。 女性が男性を喜ばせるために存在しているわけではないであろうけれど、男にとっての仕事と同じように、人を「喜ばせる」に越したことはないのだ。女性の上品な「媚態」というのは結構イケてるものであるし、これらは日本の「歌舞伎」とか日本舞踊と他のさまざまの伝統芸能に表現されていて興味は尽きない。 たとえばアメリカなどでは「いい女」というような言葉の感性はなくて、せいぜいマリリンモンローのようなセックスシンボルのような性的魅力だけ高いだけの女性に対して称されるレベルなのではないだろうか。 平成25年11月7日に・・・。 ありがとうございました M田朋久 |