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■ 易学入門 | 2013.10.25 |
「易」というと「占いだろう」とやや侮蔑的に軽視される方と、やたらに重んじ頼る方と別れるようだ。 もともと「易」は中国をその発祥とする。 歴史は5千年と古く、現在国策として中国政府が奨励している儒教の教祖・孔子がまとめたもので、それは易経という経典(テキスト・教科書)として残されている。 儒教の教科書が所謂「四書五経」と呼ばれるもので、四書とは論語・孟子・大学・中庸のこと。 五経とは、詩経・書経・易経・春秋・礼記をさす。 いずれも儒教の思想を学ぶ為の教材で、内容はいずれも人倫にかなっているものになっている。 儒教とか儒学というものが宗教というよりも人の道、即ち倫理とか道徳とかを説いたもので、キリスト教におけるプロテスタンティズムと少し似通っている。 つまり「真面目」なのだ。 それらの背景を知って、あらためて「易」というものを考えてみると、単なる「占い」などではなくある意味で道徳学と言えるし、そもそも宇宙の哲理を説いた崇高な学問で一般の人の考える「辻占い」のような薄っぺらいモノではない。 孔子も易経を儒教の教科書として最高のものであるとしているが、その難解さ、解釈の柔軟さ、多様さによって庶民に親しまれるワケではなく、どちらかというと帝王学とか兵法としての用い方をされることが多いので、主として支配者階級とか一部のエリート、リーダーに好まれる学問となっている。 そして、その考え方は倫理道徳に沿っているものの、思想的には道教(老子)の考え方に近い。ちなみに道教の教科書は「道徳経」と名称されているが、中身はどちらかというと哲学書に近い。 日本では高嶋易断が良く知られていて、書店には秋頃からうず高く積み上げて買い手を恭しく待っている。 宇宙の法則ではないが世の中(人間社会だけではなく)には、因果律というか、因果応報とかエネルギー不変の法則とかがあって、善を行えば善が来、悪を行えば悪が来るみたいな道徳律に、易占い・運も従うようで、筮竹(占いの方法)などをすると世の為人の為に善なることであれば「吉」となり、そうでなければ「凶」となるというような勧善懲悪的なところがあって興味深い。 神や天、宇宙に正も邪も善も悪も無い・・・との思想、考え方は以前には少し流行したが、今はそうではなくて、やはり正義とか善とかにそれら偉大な力が味方するように思えるし「易」による「占い」を通しても益々それを感じることができる。 「悪いことをしてはイケナイ」というのは、人の道(倫理道徳)というだけではなく、神の道、天の道でもあるのだ。 この極めて単純で陳腐で素朴な考え方は、日本人の多くに「悪い事はしたらバチが当たる」みたいな考え方で、広く浸透しているようで、日本の社会は世界一治安が良く、自然にしていて秩序が保たれ、殆んどの国民が善良で親切で優しいという性向を持っているようことは先の震災で証明された事実である。 発祥の地である中国では共産主義革命によって一時あらゆる宗教が否定され、無宗教で「毛沢東」が神様で、その「語録」が聖書とされていたものが経済発展を遂げ、貧富の格差が生じ、社会にはびこっていた極端な「拝金主義」に嫌気がさして、あらためて人々が宗教に心の救いを求めて走っているという姿も、我々日本人が瞬間的に辿った道でもあり、中国社会の宗教回帰という現象はいかにも身につまされる話ではある。 話を戻します。 易の起源は「易に三聖あり」と言って、伏儀・周公旦(文公)・孔子となるが、正確には四人である。 文王の親子を一人として扱っているからで、だいたい2500年くらいかけて完成されたもののようである。 筆者の場合、これにスーフィー教の流れをくむ「エニアグラム」と、実際の臨床研究、中国の親しい友人からの極秘の情報に基づいて絶えずディスカッションしながら進化し続けているので、或る程度形が出来上がって確証を得て確信となった時点で思い切って本にしようかと考えている。 5年から10年以内にあらためて資料を集めてみたいと思っている。 筆者の見解では、あまり詳しく細かくなると嘘が多くなるという前提があって、多くの占い師の大家・高嶋易断を含めてマチガイが少なくないと見ている。 「嘘だろう」が結構多いし、全国的に有名な占いの先生よりも知人の「占い師」の方がはるかに的中率が高く「易」の基礎的な考え方もしっかりしていると思える。 マスコミに出ている、ネットで出ている、有名だからと言って盲信してはイケナイ。 何事も基礎が大事で、スポーツの強いチームも必ず基礎を徹底的に鍛錬している・・・。 これはあらゆる分野で通じる法則で「易」についてもその法則の第一は因果応報であり、第二は変化であり、不変であり、単純ということである。 これは易の三義でもある。 「不易流行」という言葉もあって、変化するものと永遠不滅なるものをしっかりと見極めて事を起こすこと、事を見ることを勧めている。 「単純」とか「簡単」という意味は逆に見ると複雑で難解なものはパスして良いということになるが、これは先述した内容と矛盾するが敢えて説明を加えるならば「四十にして易を学べば災いなし」というように易の基礎を知り尽くせば別に占いをする必要はなく「、正しいことをしていれば悪いことは起こらない」ということである。 であるので何らかのトラブルや厄災が起こったときにはまず自らの行動、思考感情を吟味検討反省するべきで、人や天を恨んだりするのは最も戒められるべき態度である。 易と医学との関係も割に深くて、昔の漢字では医に付属して「占い」みたいな字が入っていたそうで、次に付属していた字は酒(薬物)である。病状を占う時には、易の知識は計り知れないほど有益である。何せ近代医学よりもはるかに長い歴史をもっており、それが現代でもきちんと多くの一般庶民に自然に浸透していることからでも容易に推察できることだ。決して怪しい学問ではないのである。 ありがとうございました M田朋久 |