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■ ロストジェネレーション | 2013.10. 5 |
この言葉は実は、今世紀のものではない。 敢えて調べないで書いているが、多分19世紀の初め頃の世代を指すのではないだろうか。 「失われた世代」 歴史を通じて、はからずもあまり世の中の日の目を見ずに生かされてしまった世代というものが何度もおとずれている筈である。 大ヒットテレビ番組「半沢直樹」も無事に最終回を終え、何とこの時期に最高視聴率40%台とは見事であった。 次回作も期待できる終わり方であったが、テレビ局とか映画の世界に必ず二匹目のドジョウを狙うようで、このシリーズは「つづく」筈で、最終的には劇場版映画も制作されるであろう。 近作ではストロベリーナイトが同じ流れで、割に出来の良い映画が仕上がっている。 「半沢直樹」の原作者、池井戸潤氏の新刊で「ロスジェネの逆襲」というタイトルが書店の入口に並んでいる。 これを種本に次作が創られるのであろうけれど、読んではいないが主人公・半沢の活躍がますますエスカレートし、さらに洗練されていくと思われる。 楽しみだ。 バブル時代の始まりと終わりを正確に把握していないが、恐らく昭和60年代、株高のピーク時が終わりの始まりであったと思われる。 バブルの恩恵を授かった世代は所謂、団塊の世代、S22年〜S24年生まれの人々。 人口が多く、最も競争を煽られた人々。 学校には教室が多く、生徒があふれ返り、大学入試も難関で、どんな事柄にも競争で成長が起こる筈で、土地の価格と地位と賃金は上がりつづけるというひとつの神話があって、今でもこの世代の人々にはそれらの意識を感じる。 決して悪いことではないが、意外なことにこの世代の名経営者はユニクロの柳井正(ファーストリテイリング社長)氏以外では成功した人は少ない。 政治家においてもしかりだ。 鳩山兄弟が当たるが、このご両人の失言、ていたらくぶりは世間の周知のことだ。 話しは変わるが、前々総理の菅直人氏などはS21年生まれの学生運動家あがりで、警察と追っかけっこし、独特の理論をぶちまける演説(当時はアジテーションと言っていた)の名人であったそうで、アナーキスト(無政府主義者)に近い人物であるが、この方が何と色々な経緯を経て総理大臣になられたワケであるから政治混乱は必定と思える。 筆者はS28年生まれであるから、現総理の安倍晋三氏と同世代。 この世代の特徴のひとつは多く昭和ヒトケタ世代を親に持つということで、一説によると明治・大正・昭和の世代において明治初期に次いで気骨のある年代だそうで、その子供であるから多分に軍国的であり、思想的に右寄りなのが大きな特徴である。 安倍氏の言動にそれらは感じるが、多くの同級生で少しはモノを考える人については殆んど同様で、昭和20年代初期の人々の左寄り傾向と比較するとやはり教育というものの怖さを感じる。 中国や韓国などでも「反日教育」が今でもつづいているらしいが、若年層についてはその教育効果(?)も民間レベルJポップカルチャー、アニメなどの文化の交流によって「反日」はそれ程多くないとのことだ。 さて、バブル期に入行(就職)し、その後始末をさせられる半沢直樹を思う時、その物語から窺い知れるカラクリというのが割に典型的で、土地とか担保とか株とか投資とか不正融資とか現代の錬金術とも言える金融手法というものが、多分に非人間的、非倫理的、策謀策略、奸計に満ちた類に満ちていて、それらをどちらかというと人道的に暴いていくというパターンなのである。 つまりバブルというものが非常に頭の良い人の作為によって生じさせられ、それに乗じて莫大なお金を動かし、その隙間に生じた多額のアブク銭を悪人が懐にするというもので、これは時代劇の恐ろしくパターン化させられた物語と殆んど同じものである。 そのような奸計・謀知を身につけた団塊世代の人物にしばらく我が法人(会社)にいてもらっていたことがあるが、銀行と税理士と弁護士、経理担当者と事務長、奥さんと巻き込んで悪巧みをするところなど、全くもって「身につまされる番組」であった。 熊本県の第一地銀、H銀行にも、スキャンダル本・暴露本が2刊も出版され、瞬間的に県内書店売り上げNo.1になったこともあるそうで、何やら「半沢直樹」も全くの絵空事とも思えない。 お金を扱う時にその人間性が剥き出しになるが、筆者とてお金は大好き・・・。 それを欲しくないと思わないワケはないが、悪い事や犯罪まで冒してそれを手に入れる気は毛頭ないし、何よりも自らの「美学」が許さない。 全くの自己満足で良いから「美しく生きていきたい」「自分を尊敬していきたい」という基準を持っているので、特に女性とお金についてはそうはならないように日頃から気を付けているが、コト女性やお金についてこそ男の欲望と嫉妬心が激しく渦巻くようで、ドロドロとした男と女の欲望に翻弄されると人間はどこまでも醜悪になれるものだ。 だからそのような人々について、特に憎しみとか怒りは持っていないけれど、或る程度用心しておくべきであろうし、自分のプライドのアイデンティティーの視座をできるだけ高いモノにしておくことがそれらに冒されない秘訣なのかも知れない。 あ〜あ、見事に話がズレてしまった。 ありがとうございました M田朋久 |