コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 「永遠の0」2013. 9. 6

百田尚樹の作品で7年前に書かれたそうである。口コミでジワジワと売り上げを伸ばし、今や200万部も売れて今冬12月に映画公開もされるらしい。
「海賊と呼ばれた男」も百田氏の作品。出光石油の創業者出光佐三の自伝的小説で、この作品がヒットして百田氏の名が知れ「永遠の0」もつられて売れて来たと推測しているが、この小説は単行本。書店の入口近くに平積みされ、これまた売れているようだ。

ありがたいことに、或る方に進呈され、最初から最後まで、エピローグ、解説まで殆んど完璧に読了してしまった。
筆者にとってメズラシイ作品となった。
「0」とはゼロ戦のことで、今や戦後生まれの総理大臣を3代に渡って冠した戦争を知らない日本国民に、あらためて日中戦争、太平洋戦争におけるゼロ戦の栄光と落日を、見事にリアルに描き切って差し出された、言わば歴史ドキュメント的小説である。
物語としても傑作と言えるし、日本中の人、いや世界中の人々に読んで欲しい「歴史教科書」にしても良いくらいの作品であった。
あっと驚く展開の最終章も、日本人の死生観と美意識をあらためてキッチリと提示してくれて、多くの読者の共感を得たに違いない。

当時の日本人の考え方、感じ方、価値観、家族愛、男女の愛が描き込まれ、それを現代人の仕事や人間関係まで織り込んでくれた、涙なしには読めない感動の小説である。

ゼロ戦についての解説部分もリアルで、実際の空中戦の様子とか軍部大本営のエリート官僚の陸士・海兵あがりの将官、佐官、尉官たちと、たたき上げの下士官や兵隊たちとの確執とか乖離とか、現代の世相にも通じる。高級官僚の無責任ぶりが戦前からあったようで、この国、日本の政治や指導者の構造的弱点と精神構造の硬直性を露呈させてくれて、かなり啓蒙的でもある。

世界中そのような体質なのかも知れないが、アメリカの方が指導者リーダーの責任体制はしっかりしているようで、日本が戦争に負けるのは当たり前とも思える。
決して物量だけで負けたのではないことが分かる。

他書でもこの感覚は同様で、少なくとも開戦当時、意外にも日米間において、日本の軍事力も瞬間的に相当高いレベルにあったのは全く想像外であった。

また、敗戦によってズタズタになった日本人のプライドを保ってくれたのもゼロ戦をおいて他にない。
昭和28年生まれの筆者にとって、少年時代の憧れの最大はゼロ戦であり、隼であり、戦艦大和であったのだ。
ゼロ戦の異様なまでの美しい造形美と、世界最高の性能。当時満足に自動車さえ国産化できていなかった、かつての日本で実現しえるとは世界中の誰もが想像しなかったのだ。

神立尚紀氏のドキュメント小説「祖父たちのゼロ戦」と共にこの作品を読み込むと、ヘタな戦記物、歴史小説よりも興味深く感動的である。

流石にゼロ戦の性能も2〜3年後にはアメリカ製の新型戦闘機に凌駕され、殆んどのゼロ戦は終戦頃には新鋭の米軍戦闘機グラマンF6FとかシコルスキーとかムスタングP51とかの格好の餌食と成り下がってしまったらしい。

その上、神風特別攻撃隊、所謂、特攻機にもさせられ、その悲劇的運命を背負わされた、この名機とその搭乗員の物語としての小説「永遠の0」は多くのゼロ戦本の中でも白眉と言えるであろう。

筆者の父親は陸軍士官学校出身。在学中に終戦になり戦死を免れたが「自分は一人息子で長男であるから飛行機乗りは勘弁してくれ」と上申していたと聞いていた。
「生命は誰でも惜しい」
そんな中、軍人になるということ、とりわけ飛行機乗りになることは最初から決死の覚悟であったとのことであった。
その時代に「特攻」と聞いても特別な感覚ではなかったらしいこともオドロキであった。
当時の若者の奉国とか忠国とか国家への生命の捧げ方には武士道精神、サムライ魂を感じる。それと同時に愛国の根底にあるはずの家族愛や男女の愛は、壮年者・年配者に多くある生に恋々とした陰はなく、男らしく、潔く、はかなく、純粋であったように思える。

特攻で生き残った人々と、戦後世代の人々に周囲の人々との意識の差にも驚かされる。
特攻をやたらに美化するのもどうかと思うが、単純で浅薄な理屈や道理だけで軽々と論ずべきでもない・・・とも思える。

数多くの日本人の若者が国家の為、大義の為、愛の為に潔く死んでいったことは、歴史の事実として真摯に受け止めるべきであろうし、それらの行動と、その魂を決して汚してはならないと考えている。

「動機や経緯がいかなるものであれ、国の為に生命を奉じたのだ。」

この事実を深考する時、誰もが思わず感涙してしまうはずだ。
あらためて日本人としてのプライドに思いを馳せ、現在の日本の繁栄が彼ら英霊の上に成っている・・・という考え方はそれ程軍国的とも思えない。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」
「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」

武士道のテキストとも呼べる葉隠の一節である。この言葉から日本人の死生観、男女の愛についての美意識を窺い知ることができる。

美の化身とも言える程の優美なゼロ戦の機体と、その戦闘力と悲劇的運命。それは日本女性、大和撫子とも見れるし、武士・サムライそのものとも見て取れる。
その機体に込められた天才設計者、堀越二郎の思い入れや、南海の大海原に散って行った多くの若者達の無垢な魂を思う時、日本人にとってのゼロ戦は、やはり永遠なのである。

ありがとうございました
M田朋久



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