コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 「嗅ぎたかった」2013. 8.29

姪の結婚式で大阪に出かけた時、帰りの新幹線のニュースサービスのテロップで大いに笑わせてもらったので、そのことに関連して少し書いてみたい。

それは女性の自転車のサドルを200個あまり盗んだ35才の男が逮捕されて、その動機「嗅ぎたかった」とのことであった。

筆者も男であるから、多少のフェティシズムがあって、たとえば女性の下着とかスカートとかにはそのような欲求があるにはあるが、自転車のサドルには思い至らなかった。
件の男はその道では「きわめた」人物と思える。

女性が自転車にまたがって、股間と臀部をその小さな皮製の、考えてみればやや卑猥な形状の「サドル」というものに乗せて、殆んどの体重をそこに押しつけているのであるから、その女性の性器とか普通の男性の好奇心の中心的「存在」のすべての構造とか湿度とか温度とか、それこそ犯人の欲求した匂いというものに思いを馳せる時、少なからずの共感を感じてしまうのは筆者だけではないだろう。

このような性向がすべての男性に存するかどうか不明であるが、昔からあるパンツ泥棒はとてもありふれていて、最近は話題にもならないが自転車のサドルコレクションとはまた・・・。
そのセクシャルなマテリアルなのに誰も思いつかなかったであろう。
不謹慎ながら「やられた・・・」という感じを抱いたフェティシスト(?)も少なからずいるのではないだろうか。

恐らく殆んど皮の匂いくらいしかしないのではないか。
これは推測であるが、自転車というものと部品であるサドルというものと、女性の肉体の創り出す独特のエロティシズム、妄想がこの盗人の性的欲望を激しく喚起してサドルドロボーという犯罪に走らせた、やむにやまれぬ心理的事情があったのであろう。
盗んできたサドルを愛おしげにさすり、頬ずりし、匂いを嗅ぐ35才の男の光景を想像すると、新幹線の中で一人声をあげずに笑いを噛み殺していたワケであるが、他の乗客の反応を見ると一見無関心で淡々としたものであったが、これは自分自身の変態性とかいくらかのフェティシズムの傾向を自覚させられ、あらためて自分を含めてその行動の滑稽さがおかしかったのかも知れない。

帰りの車中ずっと心の片隅で「笑い」がつづいたので、その行為犯罪ではあったものの少なくとも自分の心を幸せな気分にしてくれたニュースではあった。
まじめな老若及び男女には悪いが、その事実(サドルがいくらするのか分からないけれど・・・)と、おかしさが勝ってしまって、たとえば女性のレイプとか虐待とか暴行とかストーカーというワケではないし、心理的にはスカートの中の盗撮などよりも女性への被害は少ないものに思える。

このような犯罪についての警察や一般社会の反応とはいかなるものなのであろうか。
男の性欲の処理方法としてのフェティシズムについて考える時には、その犯罪性よりもどうしてもそのモノ悲しさ、愛嬌、滑稽さに目が行ってしまう。
少なくとも女性を深く傷つけないという点において・・・。

「気持ちは分かる」が実行はしない。
そこまでの欲求はないというのが大方の普通の男性の感覚であろうけれど、たとえば激しく好きになった女性の場合、その身につける物のすべてに深い愛着とか、それを所有していたいという執念とかを持ち合わせているのは決して悪いことではないと思える。
何故ならばその相手の個人、裸の人間に強い愛欲を感じるということはその周辺の、たとえばその肉体とか衣類とか所有物とか人間関係とか血縁とか親族とか、その個人にまつわるすべての事柄についての愛着はその愛の構成要素として結構重要であるまいか・・・と思えるからだ。

フェティシズムという性向もまた、神が与え賜うた性的欲望のひとつの大切なパーツであるし、社会を冷静に見回すと多くの人間の欲求する物質が或る種のフェティシズムに満ち満ちてるように見える。

人間の嗅覚は多くの動物と同じく性欲を惹起する、もしくは減退させる感覚として最大であるらしい。
これは潜在意識として多く、普通の日常生活では感じにくい感覚であるものの、先述した事件のように自転車のサドルについてある(?)微かな匂いというものが強く激しい性的衝動が犯罪の動機であったのはマチガイナイ。

筆者の場合「サドルになりたい」なのでサドルを盗もうとは思わない。下着についてもそういう感覚である・・・なんだか余程、変態に感じる。・・・我ながら・・・。

ありがとうございました
M田朋久



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