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■ 色からのメッセージ | 2013. 7.16 |
「色」という文字は元々、男女の性交を意味しているらしい。 人が人の上に乗っかっている象形で色のつく言葉には性的なニュアンスがとても多い。 色気。 これはセクシーという意味。 色香もそうだ。 色情。 これは性欲とか男女の情交そのもの。 現代用語ではないが、俗語で「エロい」という表現があるが、これも思い切って「色い」としても良いのではないだろうか・・・この際。 語源的には何ら問題はなさそうであると思える。 先日TCカラーセラピーの研修を受けて来た。 土曜日の午後5時から11時まで、仕事を終えてからのセミナーで大変であったけれど、収穫はその苦労に比例して大なるものがあった。 その内容を少し披露してみたい。 色は光と物体と視覚(目)によって生じ、光は電磁波だそうである。 太陽光に限っても可視光線と呼ばれる電磁波を私たち人間の視覚が捉えて知覚している・・・とのこと。 ニュートンという科学者が実験的にプリズムでもって分光して、当時は7色として認識したらしい。 まさに七色の虹だ。 実際には14色のカラーボトル(色のついた液体を入れた小さな瓶)を使ってセラピー、癒やしとカウンセリングをする。 これがまた物凄く的中するというか、的を得ているという真っ直ぐ正直に心の奥、潜在意識、もっと言うならハイヤーセルフからのメッセージを受け取ることができる。 多くの人がこのカラーセラピーで感動の涙と共に深く癒やされるようだ。 筆者の個人的な体験では、正直な感想として「不思議」としか言いようがない。 潜在意識の声が色として人間の目で認識され、その色の組み合わせをキチンと整理してメッセージを短い文章で記されているテキストもあって、それから発されるメッセージの深さ、正確さ、的中度、つまり心の奥底をまざまざとクライエントに伝えることのできる大変なシロモノである。 正直、感動した。 人間の目は必要な色を、まるで食物のように「食べる」「見る」「欲する」習性があるようだ。 このような論で言うと、毎日の衣服の選択は潜在意識にさせるべきで、直感的に「気になる色」にすれば良いし、またその選択は着る人の心に多大な影響を与える・・・ということになる。 近々、新しい高齢者施設を建設中であるが、この場合も内装の「色」の選択については、最良最善のソレを選ぼうと考えている。 結構難しい仕事となった。 色の人間心理に対する影響力の大きさを考えた時に、自然界を含め人間の生活を取り巻くさまざまな色は私たちの潜在意識に無意識に取り入れられ、何らかのエネルギーを発生させるとも考えられる。 朝起きて着る服の色など仕事で全身パーフェクトな制服の場合であっても、行き帰りの私服はスーツならネクタイ、腕時計、ワイシャツ、女性なら髪飾り、ブレスレット、ネックレスなどの身装品を含め、色のついたそれらの持つ何らかのエネルギーは視覚を通して脳に伝えられ、自覚的には不明でも潜在的には確かな精神的エネルギーを発生させるそうだ。 色彩心理学という学問もあるらしいので、人間の心に与える色のエネルギーはそれ程小さなものではなさそうである。 先述したTCカラーセラピーでは、色からのメッセージが自然な落涙を惹起させる程の感動をもって心に深く突き刺さり、或る種の強力な癒やしを生じせしめ、身も心も瞬間的にかなり軽くさせたのには驚かされたし、また繰り返し自分だけで「気になる色」を潜在意識に選ばせたときに、殆んど全く不変であったのにも驚嘆させられた。 「色」の持つ不思議なエネルギーにはあらためて別の世界を拓いてくれたようで、誠に有意義なお勉強であったし、多くの人に伝えたいと思った内容であった。 視覚は嗅覚や聴覚と同じように一瞬で脳に到達し、それを活性化もし、鎮静もする。 それらの人間の感覚に心地良さをもたらすものが多分に多くの人間関係に強い影響を与えるのであろうことは想像に難くない。 家族や恋人の身につける衣類やアクセサリーの色や輝きは、確実にそれを見る人の心を魅了もし、失望もさせる。 ・・・ということは、身につけるモノへの繊細な感覚と豊かな感性はその人自身の人間関係、もしくはそれに連なる心の反応を良きものにする為にそれ相応に磨いておくことも大切であろうと思える。 「人間は光を食べて生きている」 これは明らかな真実であっても、多くの人は普段実感していない太陽の光、即ち電磁波(波動と言っても良い、振動と言っても良い)が地上や海面や植物の葉っぱやさまざまの動植物、自然界の諸々の物質へ強力なエネルギーを与え、それらから生まれた生命を食して生きているのが人間である。 また人そのものも光であるそうな。 「光」という文字は火と人から成り立っていて、これは松明を持つ人と言って良いし、人が光っているという考えも良いそうだ。 全ての人は光を放っている。 それがどんな光か、暗いのか明るいのか、不快な色か愉快な色かさまざまであろう。 それでも光は光なのである。 その光が消えた時を「死」と呼ぶのであろうけれど、死んでもなお光を放ちつづける人もいるに違いない。 人々の心に残り、受け継がれて・・・。 ありがとうございました M田朋久 |