コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 還暦2013. 7. 3

日本の風習で、60才になったら神社でお祓いをして皆にお祝いをしてもらうならわしになっている。
とうとう筆者も60才になってしまったようで、例の赤いチャンチャンコと赤いかぶり物を着て、ひな壇に鎮座させられる羽目にさせられた。
青年会議所のシニアクラブという組織の人々の強力なお誘いで、イヤイヤ参加したワケで、女っ気の全くない形式ばった宴席には、できるだけ参加しないことと心に決めていたので、やはり予想どおり息苦しい、残念ながら楽しくない体験になった。
何しろ、あの赤い帽子もチャンチャンコと称するベストもあらためて着せられてみると本当におじいさんになったような気分になるし、夏場であることも手伝って妙に息苦しく、それを着たまま参加者の盃を受けるのであるが、何となく「アンタも爺さんになったなぁ」みたいな、やや見下すというか気の毒がられているような心、エネルギーを感じとても嫌であった。

結婚式のひな壇も最悪であるが、それに近い感覚であって、この風習はやめた方がいいじゃないかと思うが、有難いことに60才まで何とか生かされて、また社会的活動もできる肉体と精神の健康を賜っているのは周囲の人々の支えとご先祖様、仏様、神様のお陰様と感謝はしているし、宴席やお祓いの手続きを段取りしてくれた会議所の人々にはとても感謝している。
とは言え、嫌は嫌。
このあたりは筆者の自己愛と美意識、少なくとも格好としてのダンディズムがゆるさないし、盃のやりとりという形式にどうしても強い抵抗を感じてしまうので、早々に急用を理由に退席してしまった。
関係者に対してやや罪悪感もあるものの、自分も逆の立場で参加して、つまり還暦者を祝う、見上げるという立場に立ってみた時もこのような席を早々に「逃げ出す」というアイデアも悪くないなぁと思っていたので、自分の行動は「自分自身に正直に」という原則からすると何の矛盾も無い。

人間が生まれてから60年すると、暦の上では12支と10干という循環が丁度一致する。
つまり、60年がひとまわりと考えるワケで、何か意味があるのであろうけれど還暦の言葉どおりに受けとると60才というと再び生まれ変わって「赤ちゃん」になるので、赤いチャンチャンコと赤いベレー帽もどきのかぶり物になるのだ・・・と説明を受けた。

先述したとおり、これを着ると何故か腰も背中も曲がるし、表情も緩んで何となくジジイになってしまうのを自らの敏感な感覚が感知し、これを大急ぎで脱ごうとトイレを言い訳に早々に逃げ出して温泉に入り、スーツでホテルのロビーでくつろいでいると元に戻ったようで急に元気を取り戻した爽快な気分であった。
一度アキレス腱を切って、松葉杖でハワイに行く羽目になり、空港でくるま椅子に乗せられた時にもこんな安楽ながら重苦しい「年を取った」「カラダが重くなった」感じを得たので、ジジ臭くしているのはいかにも「楽」であっても気分としては「最悪」であるので、できるだけセンスのある適当な若作りは悪くないアイデアと思える。
これはファッションだけでなく、生活全般にそのような工夫をした方がよろしかろうと思える。

背スジを伸ばして人前で颯爽と歩いてみせるとか。
胸を張って堂々とスピーチしてみせるとか。
駅とか空港で階段を軽く駆け上がってみせるとか。
電車やバスにヒラリと飛び乗るとか。
車の乗り降りを素早く機敏にするとか。
とにかく日常の行動をキビキビと若々しくしてくことは実際の老化防止にも良いらしいし、その為に日頃より少しずつ鍛えておくというのも相乗的に健康維持に効果があるように思える。
男女共、普段から「カッコヨクしておく」ことを目標にすることは悪くないアイデアと思える。

青年会議所は40才で卒業であるから、早くも20年が経ったワケであるけれど、あまり年を取ったという感じはしない。
何だか色々あったけどとても楽しい20年であった。
最近は、「実行実践」する元気はともかく、色事への興味関心に心理的成熟(?)が加わって、女性が以前より美しく見える。
髪とか足とか手とかスカートとか着物とか、何でもかんでも女の性に関わる事柄にやたら発情してしまう感覚があって、これは自分にとって悪いモノではない。
何だか世の中が桃色、バラ色になったみたいでとっても良い感じである。
これは若い時にはあまり実感できなかったことなので、60才を前にして年を取ることもそれなりに悪い感じではない・・・ということは特に20代、30代の若い人に強く伝えておきたい。
ただし、若い時からの色々な勉強とか鍛錬とかは必須と思えるし、人生や健康上の種々雑多で有益な情報、知識、智恵がある程度必要ではないかと思える。

人生を過ごしていく上で、ささやかであっても大切な知識・情報を専門職と呼ばれる医師や弁護士、その他の知識人と呼ばれる人々でも結構無知な方がおられるし、一般庶民のレベルの人々でもそのような知恵、知識の広さ深さにはかなり差があるように思える。
いつまで生きるかわからないし、同級生の親しい何人か、特に学業成績の優秀だった親友が二人とも昨年死んでしまったが、それこそ医者の不養生かも知れない。
件の二人はとても真面目で心優しく、気の良い男たちであったので、その早逝が今でも信じ難いが、確かに真面目に勉強し、真面目に仕事をし過ぎたのではないかと想像している。

医者の仕事をあまり真面目にしてはイケナイということは父親の早死によって知っており、不真面目ではイケナイと「非」真面目という言葉を知って、仕事はあまり夢中に「一生懸命、頑張って」はしないようにしている。
自分が早逝するということは、もしかして自分の力で救える、助けられる、癒される人の数が少なくなるという意味で、自分にそれほど医者としての「力」があるとは思えないが、そのような意志と情熱だけは今でも強く持っているし、少しずつでもその為の勉強はしているつもりである。

60才の決意表明を敢えてさせていただくと「一生勉強、生涯一医者」。
もっと平たく表現すると「学びつづける、癒しつづける」。

これが還暦を迎えることのできた筆者の個人的ミッションステートメントである。
カッコつけてますねえ。臭いですねえ。
60歳だからゆるして!なんてね。やっぱりトシやなあ。

ありがとうございました
M田朋久



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