コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 夫婦関係2013. 5.19

この人間関係ほど面白く、興味深く、難しいものは無い。
実際は親子関係の方が難しいのであるが、親子は成長すると自然に離れるものなので、成人した後の人間関係は離れてさえいればそれ程の問題は無い。

「夫婦生活」という昔の風俗雑誌があって、この言葉はそのものズバリSEXのことを指し、件の雑誌もハッキリ言ってエロ本である。
一般的に「関係」という言葉は性的なそれを示すことが多い。
伊丹十三監督の「マルサの女」で「特殊関係人」という言葉が出て、これは2号さん、お妾さんのことだそうだ。
ナルホド。

・・・ということで、夫婦関係と言った場合、人間関係というより性的関係を基礎に置いた関係性であるし、法律用語でも明確にそのことを謳ってある。
アメリカの場合、一定期間SEXが無いと離婚を申し立てることができると聞いたことがあるが、今でもそうであるか分からない。
主に女性の方から訴えが多いそうで面白い。

今の日本ではセックスレスの夫婦が多いらしく、その上先進国中最低のSEX回数が日本人だそうだ。
確かギリシャが最高で、ナント日本人の数十倍のSEX頻度だそうな。
経済不況で国が破産しそうなのも分からないではない。
「色事に忙しくて仕事なんかしていられるか」なんて感じなのであろうか。

性的満足、つまりそちらが満ち足りていたら経済とかどうでもよくなるのではないかも知れない。
女性が男性に求める魅力というのも、ヨーロッパ、特にイタリア、スペイン、ギリシャなどラテン系の人々の「ロマンチックさ」がトップなのに比べ、日本人の場合「経済力」「生活力」だったりするのを聞くと、そういうものだろうなという得心と同時に軽い失望も感じる。
「やっぱりお金かぁ」なんてネ。

最近夜の店で会った35才の男性など、性欲が全然ないと言っていてアダルトビデオも何年も観ない・・・と聞いて唖然としてしまった。
筆者は59才であるが、これらのポルノビデオ・雑誌は毎日観る。
イヤ、観ないではおれない。
どちらが異常かは読者の判断にまかせたいが、人生への快感の深さはそれらへの親しみを強く持つ方に軍配が上がりそうな気がする。

前置きが長くなったが、夫婦関係における相性の問題の一番は性的なソレである。
そうして夫婦関係に秘密を全く持たないとかには反対である。
誰かほかの異性へのほのかな想いとか、少しのヘソクリとか、秘密の日記とかお互いにささやかな罪の無い秘密を持つのは決して悪いことではないと思える。
お互いが夫婦であっても恋人のような関係性を持ちつづける方がロマンチックで楽しい気がする。

その為に少しの他人行儀さも大切だ。
あまりに礼の無い、遠慮の無い関係は夫婦の間では好もしくないと考えている。
まさしく「親しき仲にも礼儀あり」で、夫婦間ほど丁重丁寧な態度でいることが望ましい。

キチンと御礼を言う、挨拶をするなど人間関係における基本動作は夫婦の間にこそ絶対的に必要と思える。

何故ならば、人生の伴侶というくらいで、一生を共にするという前提があるならば、長く永続させるという当たり前の人間関係が夫婦関係の基礎であるからだ。
元々他人同士であるし、夫婦の間の「他人行儀」が良くないこととは思えない。

それで、ほんのささやかな態度、ふるまいが深い愛情を惹起させたり、逆に破壊的なささいなふるまいをさせたりというのもあって、割に緊張感と慎重さを要するのも夫婦関係というと思える。

世の中には「空気みたいな関係」ということを自慢気に語られる方がおられるが、これも個人的には嫌ではある。
あくまで好みであろうけれど、夫婦であってもみずみずしい、新しい恋人のような緊張感を維持しておくこともその夫婦関係の楽しみを味わうのに必要であると思える。

おしどり夫婦で有名であったポール・ニューマンとジョアンナ・ウッドワードは夫婦関係を良好に保つコツはと聞かれて「できるだけ一緒にいないこと」と述べたそうであるが、或る意味肯首できる。
いつも述べるように、あらゆる人間関係の中心に愛を捉えるとすると夫婦関係は愛そのものであるのに、それを表現するのが苦手なのも、また日本人の特徴である。

或る意味奥ゆかしいとも思えるし、アメリカ人のように一日中「I love you」
と口走るのも何だか鬱陶しい。

愛の表現が苦手であっても「モーニングキス」とか「イブニングハグ」とか、背中や腕を触れるとか、髪を優しく撫でるとか「愛しているヨ」とか囁くというのを夫婦間で恥ずかしげも無く、演技的にでもお互いに行うのも単なるスキンシップという意味でなく重大なコミュニケーションのスキルであるのだ。

筆者の妻は初めての海外旅行の時、それもアフリカの紛争地帯への決死の出発の時に、一緒に東京の羽田空港まで姉の家に行くとのことで見送りについて来たが、筆者がバスに乗って妻に手を振ろうとすると姉と二人でスタスタと振り向きもせずバスのそばを歩き去ったことがあって、この時の精神的ショックは20年以上経った今でも心の底に残っている。
「な〜んだそれくらい」のほんの些細なふるまいでも、しみじみと深く心に浸透するものなのだ。また「本心」というものは油断している些細な基本作法に現れるものだ。
客商売の箴言に「三歩で迎え七歩で送る」という言葉があるくらいで、人間関係における「送る」ことの大切さを示してくれる。
それと筆者の脱ぎ置いたスーツを踏みつけて歩き、壁にハンガーでかけたりとかをしてくれなかったこと・・・などホントにいじましいくらいささいなことであるが、以来家を出て帰らなくなった・・・のではないかと思えるくらい心に残る出来事である。
多分本人は商家の末子でお嬢さん。何の悪意もなく純粋に普通であったのあろうけれど、そのように人にかしづくこと、尽くすことに無頓着なだけであったのであろうけれど、その後色々な付き合いを通じて物凄く自分が「大切にされた」経験もしてしまい、とうとう引き返さなくなってしまった。実に怖いことである。

「正しい礼儀作法は深い思いやりの表現であるので、これに熟達精通することは人生行路でも極めて重大なことなのである」
ことは肝に銘じておきたい。特に夫婦関係において・・・。

表面的にはかなり寛容であるし、人に対して何も要求がましいことも普段全く考えているわけではないが、自分自身の無自覚で不思議な行動をしみじみと後になって分析してみると、どうもそんな心のカラクリではなかったのか・・・と思えるのだ。

我が心ながらガラス細工のように繊細で傷つきやすいことにあらためて気づいたワケである。このエピソードは「相手を大切にしていない」というふるまいをしないように気を付けなければならないのはビジネスの現場でも極めて大事なことであるが、夫婦関係の中でこそ「アナタをとても大切に思っていますヨ」というメッセージをあらゆる態度、ふるまい、言動の中に絶えず込めておくことが、人間としての礼を超えて「愛の表現」をしつづけねばならない・・ことが夫婦関係の基本動作であろうと思える。
そうでなければ相手に逃げられても仕方がない。そういうことを熱心に頑張っても逃げられることがあるのだ。

また若い夫にとってSEXを拒まれるということはそれが軽い気持ちであっても夫婦関係の破壊を意味するくらい重いことであるのに割と平気でそのような拒絶をされる女性がおられて驚いてしまうが・・・。
まぁ色々あるのも夫婦であるし、どうでも良いことであるけれど、そのような場合さっさと次の人と考えてしまうのも、心の防衛反応としては結構な妙手と思える。人生は有限であり有効な「ラブアフェア」のできる期間も人によりまちまちであってもそれほど長くはないのだ。
「夫婦で愛し合う」のには実は大変な技術がいるのではないか?特にこの現代では・・・。またそれを実現している人々というのは大変なシアワセ者と言えるかも知れない。
そのような一見面倒くさい手続きを毎日繰り返さなければ成り立たない人間関係こそ夫婦関係なのだ・・・多分。

個人的には、だんだん対人相手に対して要求水準が高まっているかの知れず、このことは自分の心を多分に恐れさせる・・・。ますます孤独が深まってしまうのではないか・・・と。
良好な夫婦関係の継続失敗者として、夫としての不忍耐者として、夫婦関係にある人々だけではなく、多くの人に伝えておきたかったいくつかの意見である。


ありがとうございました
M田朋久


濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座