コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 初恋2013. 4.16

小学校3年生の時だ。
色が白く、ひどく痩せていて眼鏡をかけ、学業成績の良い大人しい女の子であった。

4月にクラス替えがあって彼女とクラスが別になった時には、朝から泣き明かしたものである。
カワイイものだ。

この初恋の女の子が姉と母親の3人で腕を組んで歩いているのを見ていると、心から羨ましくもあり、その品の良い幸福そうな様子に自分の家の火宅ぶりと比較して、少なからず嫉妬のような羨望のような複雑な感情を持ったことを憶えている。

別のクラスになってからは、理科室の暗幕の隙間から彼女が友達と廊下を通り歩くのをじっと見つめたりして、今でいうところの盗撮、盗視みたいなことをしていて、自分の内気・弱気ぶりに少なからず劣等感を感じたしものである。
その人はみどりさんというのだけれども、このコラムにここで書くまで誰にも打ち明けたことは無い。
もう50年も経っているから時効であろうと告白的に書いている。

次は中学3年の時で、もう初恋ではないけれど1学年上の高校1年生の女子高の女性を好きになって、色事関係にとても顔の広い友人を通じて極めて稚拙な「恋文」を渡して、やっとのことでデートにこぎつけたのだけれども、結果は惨憺たるものであった。
喫茶店に入っても、街を歩いても話すことも何も無い。
ただ黙々と歩き、座り、ただ一緒の時間を過ごしただけである。
それなりにシアワセではあったけれど・・・。

この彼女はマリコという名前なのに、ポパイの恋人のオリーブのように細い案山子のような体型で、小さな白い顔に薄い胸、サムライのようなポニーテール、厚紙のように薄くした学生鞄を小脇に抱え、セーラー服のポケットに手を突っ込んで、猫背で目を細めて(ひどい近眼であった)真っ直ぐに長い足を伸ばして歩く姿に心から憧れたものである。
愛想もクソもない、やや横柄な態度物腰であったがカッコツケでも「おすまし」でもなく、割にすっとした、どちらかというと「男らしい」雰囲気の女性で、何か適当にあしらわれたような感じであったけれど、大学を卒業する20代まで何となく「好き」であった。
今の理想の女性とは程遠い体型、風体、物腰、容姿であったけれども、若い時には痩せた女性を好むのは普通のことかも知れない。
まだまだエロスや女性美よりもロマンチックな雰囲気、感じに憧れるようで、オードリー・ヘップバーンの絶大な人気も理解できないワケではない。
マリリン・モンローとか藤原紀香のようなグラマラスな肉体の持ち主の女性については恋心よりも劣情の方が勝ってしまって、男心としては恋の対象より性の対象となってしまって純粋な恋心の対象にならないのかも知れない。
これはあまりにも美男子であったり、あまりにも美人であったりするのが今の恋愛映画の主人公になりにくいというのもうなずける気がする。

「失楽園」という渡辺淳一原作の、ややエロスの強い物語もどちらかというと色気の落ちる役所広司と黒木瞳の映画は傑作である一方で、色気ムンムンの川島なお美・古谷一行のテレビドラマはリアル過ぎてというよりエロ過ぎて引いてしまう程、作品としての質が悪かった。

恋というのは動物的にはエロスそのものであるのに、人間的に加工されると逆に非エロス的になってしまうというのは皮肉なことである。

自らの初恋と、それなりに連なる少年時代の恋心を思う時、殆んど性的なものの混じらない恋の方が美しく感じられるのは筆者だけではないような気がする。
これは常識かも知れない・・・。

ありがとうございました
M田朋久


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