コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 夜の店2013. 3.28

小学生の時の夢のひとつに、夜の店のカウンターでウイスキーを飲んでタバコを喫うというのがあった。
多分に子供の時観た映画、それも西部劇の影響と思える。
それでお金を払って帰る・・・というのが凄くカッコヨク、早く大人になってそういう身分になりたいなぁ・・・と思っていて、今それがやたらに安易に手に入るようになったら、急にそれらへの興味が見事に霧散消失してしまった。
ちなみに大学時代の欲求も似たようなもので、その最たるものは寿司屋でお寿司を腹いっぱい食べるというのと、スナック・クラブ・バーなど「夜の店」で好きなだけお酒を飲むというもので、ついでにトルコ風呂(今のソープランド)に行って思う存分女性を楽しもうと思っていたのだけれども・・・。

28才で開業医になって、独身であったのでそれらを一気に楽しもうと貯金を全部(確か45万円くらい)おろして、街に出てチャレンジしてみたけれどいずれもチットモ面白くなく、瞬間的に果てしのない絶望感を味わったものである。最終的に当時流行っていたカフェバーみたなところで静かにカクテルを舐める・・・といのが性に合っていると早々に悟ってしまった。

当時、失恋中でもあり、この深い孤独感を埋めるのに上記の小学生〜大学生の夢は全く用をなさなかったということになり、さらに失望感は深かった。

それでオートバイに出逢ったワケで、仕事が終わったら雨の日と超長距離はクルマ、晴れて気分の良い時はオートバイと目的地を古本屋(主にエロ本を買う)や、知り合いのバー(ミルクかコーラを飲む)に設定し、好きなコースを選択して毎晩のように走っていたような気がする。免許を取得する前にピカピカの新型オートバイを購入しバイク屋さんに毎日眺めに行って、その魅惑的なマシンを愛でて味わっていた気がする。

5年くらい前から亜独身みたいになって、あらためて夜の店に挑戦してみたが別の意味で面白くない。
それはカラオケで自分の歌う分は良いけれど、聞きたくも無い曲、たとえば演歌とか若い人の少しもメロディアスでないガナリ立てるような歌を聞いていると気分が落ちてくるし、人の噂話とか愚痴話も聞きたくないし、余程素敵女性がいて気の利いたおしゃれな会話のできるような店でもあれば少しは心癒されるかも知れないが、そのような人はついぞ出会ったことが無いし、当地のような田舎町にそれを望むべくもない。ついでに30年も住んでいるとみんな知り合いばかりで出会いの喜びも無いし話も変わりばえがしない。
それはそれで家族みたいで深い安心感はあるけれど・・・・。

したがっていくらかのお金と暇もあるのに家でテレビを観たり、ビデオを観たり、本を読んだり、元気ならクルマに乗ったりバイクを飛ばしたり・・・と選択肢が狭まってしまった感がある。
グルメでもないし、ギャンブルも苦手なので最終的にクルマ・バイク以外することが無い。

それでセミナーとか講演会とか出かけるのは結構な楽しみになった。
自己啓発とかお勉強がとても愉快と感じるまでになったのは個人的にも有益なことであるが・・・。

夜の店で働く女性たちは多く経済的な問題をかかえたバツイチ、バツニ、子持ちの女性であることが多く、何とかお役に立ちたいとは思うのであるが、何せ夜の店が苦行みたいになってしまった今は残念ながら老体に鞭打ってまで出かけていく気にはならない。

或る意味、悲しいことだ。

「バーで酒を飲む」ということに限定すれば、都心の高級ホテルのバーは有難い。
ピカピカに磨かれたカウンターに細身で頭をテカらせるキリッとした髪型に白黒モノトーンの蝶ネクタイのバーテンダー。
都会の夜景か海。
これを夕方4時から5時頃、空き腹でバーボンかスコッチの水割りを最初は一気に、後はチビリチビリと飲み、脳が麻酔されていきタバコに火を点けるとこれはもう最高である。
モチロン混んでいるのはダメで、娼婦でもオバサンでも良いからカクテルの似合うエレガントな女性でも隣にいれば至福なんであろうけれど、そういうことは日本では滅多にというより絶望的にありえない。
そういう女性がいて話をするとか口説くとかではなく、ただいれば良いのであるから何かしら邪な意図を持ってそういうシチュエーションが欲しいというワケではない。

海外旅行の際に時々、空港のバーでこういう状況があるが、これは瞬間的で物凄く楽しい。
15年くらい前にロンドン・ヒースロー空港のトランジットで時間潰しにバーに座ったところ、大柄の白人女性が同じようにウイスキーを飲んでいるので英語で話しかけてみたところスウェーデン人らしく、今からカナダに行くそうであった。
しばらくカタコトの英語で会話したのであるが、相手の女性も笑顔で嬉しそうであった。
何の魂胆も意図も無いスレ違い的交流というのは何かしら心躍るものがある。

東京のホテルでも同じような場面があって、その時はオーストラリア人の男性であった。
何故かガイジンは話しかけやすい。
日本人はやや防衛的である。
女性も男性もやや見知らぬ人との会話には過敏に反応される方が多い気がする。
田舎の夜の店にそういうことを望むべくも無く、そんな素敵なバーもスナックもクラブも存在しない・・・ので結局は自分の部屋(3階にある)で夜景を眺めてて氷水を味わいながら静かに飲み干す。
時にはベランダに出て、夜風にうたれながらこれをするとますます陶然としてくる。

やっぱり夜の店は遠のくなぁ・・・。
こんな調子じゃ。

ありがとうございました
M田朋久


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