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■ 信じる | 2006. 2.21 |
聖書に「信ずる者は救われん」という言葉あり。 人間の社会は「信じる」という前提があってスムーズにまわっている。 農業からして、一年の四季の天候の順調さを信じることが基礎となっている。 春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て… 梅雨があり、炎天があり、台風があり、洪水があり… 天災という天候不順でさえ、自然の精緻な循環のひとつに見える。 このような精緻な自然のリズムに則って、農作物の計画的な生産が行われる。 この数千年、地球の天候というのは、非常に安定していた。 ここにきて、異常気象や天災の続発。 不気味である。 天候自然が信ずるに足る安定が予測できなくなれば、農業は人工的な自然現象を作り出せない限り、壊滅してしまう。 お金を信じるということは、国家を信じること。 世界の経済活動を信じること。 銀行も貸出先の個人と企業を“信用”して、お金を貸し出す。 「信じない」という決断は、極めて閉塞的で、あらゆる行動を制限し、自分自身の可能性を閉ざしてしまう。 交通信号すらも渡れない。 極端な場合、「ひきこもる」しかない。 本当に気の毒だ。 多くの人々は、とりあえず関わっている人物、事物を信じて生きている。 自覚するしないに関わらず。 自分を信じることを「自信」という。 自信過剰というのはマズいかもしれないが、自信がなければ適切な行動は生まれない。 勇気も生まれない。 「信ずる者は救われん」 明日を信じる、未来を信じる。 信じても信じなくても、結果に影響がないと仮定すれば、信じる方がはるかに気楽で幸せだ。 ありがとうございました。 濱田 朋久 拝 |