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■ ストリップ劇場 | 2013. 3. 1 |
絶滅の危機に瀕しているそうだ。 そりゃあそうだろう。 ストリップがヴィジュアル的にAV(アダルトビデオ)に勝てるワケがない。 それは繰り返し観られる、止めて観られる、一人で楽しめる殆んど無数の無限選択肢がある等々「ただ鑑賞する」ということに限定するなら勝負にならない筈だ。 ただ生のライブステージ、直接に裸の女性を観られるというのは普通の男の願望の中でも普遍的で究極的なものなので、このストリップ劇場の存在が近頃までつづいているというのには確かな理由があるのだ。 愛好者(マニア)とか観光客にとってはお手軽な娯楽で、それが昔のように性欲の処理というより正常な男性の普通の好奇心の満足という意味では割に健全な類のものなのではないかと考えている。 当地は温泉観光地でもあり、昨年までは一軒だけストリップ小屋(劇場とは呼べない)があり、客引きの小母さんが通りで呼び込みしていたが最近これは消滅した。 淋しいことである。 似たようなスペックで、ストリップまがいの接客をするお触りクラブ店があって本来なら風営の摘発の対象になってもおかしくないのであろうけれど、何とか観光地ということで警察の「お目こぼし」があるのかも知れない。 このお店は当地の観光に多大な貢献しており、観光客にとっては「名所」として知られているほどである。 ストリップ劇場の後継者的存在と考えれば成程と得心する。 戦後の隆盛で最大の大衆娯楽は映画と野球とキャバレーとストリップ劇場と思えるが、今や平成も25年。 まだ生きていたのかストリップ・・・と思えるくらい古典的な娯楽になってしまった感があるが、近々は中国人を中心としたアジアの観光客がこの劇場の存立を支えていたらしい。 この頃の日中関係の悪化による来場者の激減も劇場消滅に拍車をかけているようだ。 高校生の時に初めてストリップ劇場に足を踏み入れた時には妙齢の日本人の女性が出演されていて、それなりにコーフンそたものであるが、ポルノ雑誌に勝るものではなく、女性の性器を直視できるというのに過ぎなかったように思える。 当時のエロ本にはヘアヌードさえなかったのであるから少年らしい欲望と好奇心でそれらに何回か出入りしていたのであるから今考えるとカワイイものである。 小学校の頃は4万足らずの町で、映画館が5館、劇場が2軒、テレビもまだまだ普及が不充分であったので、大衆娯楽の王様が映画館であったというのは当然であろうし、男の好奇心の中心が女性の裸であるなら、庶民の心がそれで癒されて来たということである。 そのような意味で日本の戦後史に残る偉大な遺物であったのである。 今はネットで世の中の殆んどすべてがまざまざと露出されていて、かつてのエロ本やストリップ劇場の持っていた美とか芸術性が全く消えてしまって、それなりに素人臭くなってしまってエロチックではあるものの心惹かれる類の映像では無い。 ただのノスタルジ―と思われれば身も蓋もないが、書店からエロ本が消え、街からストリップ劇場が消え、個人的にはテレビとかネットとかが幾分うらめしく思える。 最近は映画館が再興して来たのは嬉しいけれど、ストリップ劇場の消滅は一つの時代、昭和とか戦後とかの本当の意味での終わりを感じさせる。 何せ平成も四半世紀経ったのだ。 踊り子の皆さん、本当にご苦労様でした。 ありがとうございました M田朋久 |