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■ ルーチンワーク | 2013. 1.19 |
主に私生活についてのルーチンワークのいくつかを披露してみたい。 朝起きてすぐ行うのがチベット体操。 これは14年つづけている。 個人的なルーチンでは最も苦痛であったが、ここ1年くらいやっと楽にできるようになった。 つまり完全に習慣化して身についてしまった感がある。 次に筋トレ。 これは腕立て伏せを30回とヒンズースクワットを48回、軽く行う。 さらに今年からNHKラジオ体操を今年からルーチンワークに加えた。これはチベットや筋トレからするとめちゃくちゃ楽で気持ちいい。ラジオ体操の効果は結構高いらしく、これだけでうつ病や重いパニック障害が治った例もあるとのこと。確かに気分が良くなる。 その後、神棚のお水替えと祝詞をあげる。 そうして朝シャワーを終え、スーツを着て仕事に向かう。 この間、約35分。 この一連の朝の手続きを終えて、朝礼で5分〜10分スピーチをすると一日が終わったような安堵感を憶える。 自分に課した強制的な習慣化行動なのであるが結構辛かった。 元々、物凄くモノグサで怠惰なのである・・・多分。 後の仕事にルーチンは殆んど無い。 ナースや事務スタッフが頑張ってくれているので、仕事は楽である。 アタマを少し使うけれど、カラダはほとんど使わない。 最近は運動らしい運動もしていない。 読書もあまりしない。 自己鍛錬という意味では朝のルーチンワークで自己満足している。 考えてみれば情けない。 1ヶ月に1回〜2回は研修。 それも医学研修以外のモノを受講しようと考えている。 医学などの専門分野について勉強するのは医者としての義務であろうけれど、人生勉強にはもっと広やかな人間学、社会勉強をしなければならないと思っている。 人生、毎日勉強と鍛錬だ。 それをルーチンワークにしてしまうことができるならば、どんなことでも可能ではないかと思える。 このコラムもいつの間にか668件にもなっている。 毎日書いていれば、ほんの2年あまりの量であるから、日々のルーチンワークにして行けば、大変な量を書きためることができることになる。 ここ最近は夜にすることも無いし、コラム書きと読書に専念してみようかとも思う。 実は「小説」にも挑戦してみたいと長年考えてみたが着手できていない。 恐らく才能が無いのであろう。 物語が全く浮かばない。 時々夢で面白いストーリーを見るが、記録していないので実現していない。 何だか全てが中途半端である。 そのような意味で、朝のルーチンワークは一日の区切りとして、何かしら自分に課すという意味で何がしかの安定感を自分の心にくれている。 「夜の瞑想」も取り入れてみたいと考えている。 これで完璧とは決して思えないが、この簡単なルーチンワークで後は全てフリーになれる・・・みたいな感覚があって少しオソロシクもあるけれど・・・。 いずれにしても人生とはそれぞれの個人にとってはすべて自己満足なのではないのだろうが、どんな素晴らしい業績を持った偉人であっても持っているルーチンワークによって人生が決められているような気もする。 偉人の伝記などを読むと、必ず何かしらの良き習慣、つまりルーチンワークを持っておられるような印象を受ける。 それをいかにうまく身につけるかが人生の勝負どころかも知れない。 霊的、精神的、肉体的、そうして社会的に善きことを自らと他者に行っていくこと。 そうしてそれらを習慣化していくこと」。普通の日常生活の殆どはこの意識されたルーチンワークと「惰性」で成り立っているような気がする。明々と意識された創造的な人生のためには、どうしても洗練された心理セミナー受講とか深い瞑想とか、「心」に何らかの働きかけをしないでいると自然にしていて、無意識的で散漫で油断だらけで、精神的に不自由で怠惰な状態になり、マスコミに誘導された「世間の風潮」に流されてしまって、本当の「自分の考え」ではなく、そう思わされた「考え」をいかにも自分のモノと簡単に思いこまされて操られている・・・というのが大方の人間の実相ではないだろうか。 心や肉体に正しいルーチンワークを持っていて、それが習慣化された人は、少しは自由で創造的な人生がおくれるかも知れない。 ありがとうございました M田朋久 |