コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 心のオシャレ2013. 1.18

このテーマは少し難しい。
異論は色々あると思うが、私見を書き述べてみたい。
多分、衣服や身装品とは逆の方向性が心のオシャレの本質ではないだろうか。

即ち飾らない心、素朴で正直な心、母親に生命をまかせきった穏やかで安心とした静かな心等々、赤心というか裸の心にできるだけ礼を失わない程度にもっていくのが「心のオシャレ」になるのではないだろうか。

それに人を愛する心、人や神仏を敬う心、謙虚、誠実、素直、あらゆるものに対する感謝の心、惜しみなく与える心、また物事に動じない平常心、不動心、自分の財産や生命よりも公の為に自分を投げ出せる、打算のない真の意味の自己犠牲の心。

美しいものや、事物・事柄に感動できる心、弱き者、儚き物を愛おしむ優しい心、そうして自他を区別せず大きな愛で人や生き物を慈しみ、どんな辱めや誹謗中傷にも負けない凛々とした忍耐の心、モノに捉われない、こだわらない執着しない広々とした大きな心等。

そして男の心、女の心のオシャレは少し異なるということも追記しておきたい。
男女平等、男女同権には全く異論は無いが、男性性・女性性の違い、美意識や思考性の差異は正しく受入れ、たとえば母性とか父性とか男らしさ、女らしさみたいなものを大切にしながら女性が男の仕事やスポーツや態度・ふるまいを選択したり、逆に男性が女のそれらを表現したりするのもオシャレかも知れない。
例えば「女々しい」という言葉は男性に対して軽蔑的に発せられる言葉であるが「女々しい」から男なのである。
そもそも男は女より何事にも未練たらしい。
終わった恋を長く引きずったり、別れた女を追いかけたりと、男の「女々しさ」はひとつの特質なのだ。

どのように自らの「女々しさ」に付き合っていくかも男の心のオシャレにとってとても重大な問題である。

心は男女の愛、金銭、名誉欲、プライドで試される。
そんな時に、いかに心のオシャレを意識できるか・・・。
男女共、勇気、信念、知性、度胸、胆力を試される絶好の心磨き(心のオシャレ)の機会となる。
それこそ心して臨みたい心の危機管理、心を美しくする、きれいにする大いなるチャンスと捉えるべきなのである。

妙に博識だったり、理屈っぽかったり、自分の考えに固執したり、頑固だったり、簡単に自説を曲げたり、逆に嫌いになったからと言って単純に愛せなかったり、許せなかったり、弱い者をいじめたり、苦しめたり、威張り散らしたり、私利私欲の為に嘘をついたり、中傷したり、策略を練ったり、人を操ったりするのは最もオシャレでない心・・・だと思える。

どんな時でも春風のようにおだやかで人に優しく温かく、美しくつつましやかな態度を貫ける心というのが本当に心のオシャレへの鍛錬なのではないだろうか。

人の心は小さな行為に表れる。
日頃から心をオシャレにしておかないと、公衆の面前でもしかして、大観衆の面前で油断して人がとてつもなくエゴイスティックで残酷な本性が剥き出しにされるのでご用心。
積み上げた信用がいっぺんで消し飛んでしまうこともある。
道徳家ぶったり、立派な人ぶったり、知識人ぶったり、善人ぶったりなどなど何かの、あるいは誰かのふりをして自分を何かしら高貴で尊い者と人に見せようとするのも全くオシャレではない。
余程、悪徳家ぶったりバカのふり、下品なふりをしたりするのがオシャレであるが、最もオシャレなのは全く作為や飾りが無く、本性のまま自然にしている心が最もオシャレである。
この点では外見の問題、即ちファッションとやや逆のように思えるが、実のところ外見も内面もオシャレの共通点は「さりげなさ」「作為の無さ」をいかに上手に「作為」するかであろうと思われる。

いつものように矛盾だらけの文章であるが、心のオシャレも外見のそれも究極的にはそれぞれの美意識の問題であるので、時々は内面的・哲学的になり、それらを記した書物や思想書、古典などを紐解いたり、名作と呼ばれるクラシック映画を観たりして涵養しておきたいものだ。
心も外見もオシャレな老若男女がいっぱい出ておられる。

ありがとうございました
M田朋久


濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座