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■ 「そりゃあよかった」 | 2012.11.27 |
筆者の口癖が表題の言葉であるらしい。 自分では殆んど意識していなかったので、数年前に周囲の人の何人かにモノマネ風に指摘され「あ〜そうかあ」なんて自覚するようになったけれども、口癖と言うくらいで相変わらず会話の区切りや簡単な返答でこの言葉が無意識に口をついて出てしまう。 思い出してみると母方の祖父の口癖が同じようなものであったように思い出される。 「人の喜び事を一緒に喜んであげる」というような大仰なものではなく、もっと軽々とした挨拶風に口走るので、人から見ると面白く感じるようで、筆者の自覚では物凄く心のこもった「そりゃあ良かった」と何も聞いてなくて殆んど自動的に「そりゃあ良かった」と返すこともあり、親しい人の数人の中にはこの返答は「嫌い」という方もおられる。 人の喜びを素直に喜ぶ・・・と言うのが苦手な人もおられて、何となくクサしてしまう人とかが「それが何」とか、ただ「フーン」とか、人の好事・自慢ごととかの表現・表出に対して嫉妬心とまでいかなくても、何となく「オモシロクナイ」ということは少しく理解できるが「他人の喜び事を素直に本心から喜ぶこと」が一流の人物の特質であるとモノの本に書いてあって、個人的にはそれを言葉として表現していたら癖になっていた・・・という口癖形成の流れであろう。 いずれにしても概ねこの口癖の評判は悪くない。 言っている自分の感触も結構良い。 だって人の喜びのおこぼれを自分も戴けるような気がするからだ。 「良かった、良かった」ニコニコ〜みたいな・・・。 病気が治る 子供が試験に合格する 結婚する 出産する 卒業しました 彼女(彼氏)ができた 昇給した 就職できた 転職した 良い物を手に入れた 今朝も元気 仕事が楽しい 食事がおいしい 体調が良い 何だか幸せ 薬が効きました 薬が要らなくなりました 手術が成功しました 等々・・・。 医者に報告される慶事というのはとても嬉しい。「生きがい」と言っても良い。 病気の治癒軽快、痛みの消失、人間関係の改善、幸運、良縁の来訪、気分の爽快さなどの治療結果の表現としての各種報告は嬉しいものである。 周囲の人々に 「良かったですネェ」 「そりゃあ良かった」 と心から言えるように毎日仕事をしたり遊んだりしているような気もする。 親しい友人の言葉で「人の喜びを自分の喜びとする・・・云々カンヌン・・・」という理念を見知るにつけ、やはりこの口癖は自然発生的に生まれたもので、祖父の遺伝かも知れないが、何らかの好もしい影響を自他に与えているような気もする・・・。自己満足かも知れないが、結構便利なので懲りずに頻用している次第だ。 「良かった、良かった」 何でもかんでもOK,OKみたいな生き方。傍から見て、不快な人もいるかも知れないが気にしないようにしている。 ありがとうございました M田朋久 |