[戻る] |
■ 私の教育論 | 2012.11.24 |
世の中には自然にしていて子育てや子供の教育の上手な人がおられて、非行少年やひきこもり、不登校やいじめっ子、いじめられっ子にもならず結果として大人になっても犯罪者や病弱者、社会で相当な活躍をする人でなくても何とかマトモな生活を送れる「大人」をつくれる親や先生がいるものである。 これまで著わされたり論じられたりしてきた「教育論」もいい加減なものが多く、心理学、中でも交流分析(TA)、アドラー心理学、NLPなど盲信しない方がよろしい。 以前、小児科の医者でアメリカ人のスポック博士の子育て法なるものが流行し、文庫本にもなっているが、これは殆んどマチガッテいる内容であるので、これを読んで子供の教育などはしない方が良い。 子供を大人扱いする考え方もしばらく流行して「子供の人権」「子供の自主性を重んじる」というような風潮があったが、これも基本的にマチガッテいる。 子供と大人では対応をキチンと変化させなければならない。 原則として子供に自由と金銭を与えてはイケナイ。 子供にとって最大のものは親か親に替わる人、学校の先生の愛情である。 それも甘やかす愛情ではなく、どちらかというと厳しい愛情である。 「深い愛情をもって厳しい」というのが子供の教育の基本となる。 少々の体罰も時に応じて必要である。 道路に飛び出そうとする言葉の理解できない小さな子供を体罰以外で阻止することができるであろうか。 人生に対する何の定見も無く、価値観も良識・常識も無い子供に言葉だけで物事の「理」を理解させるのは至難である。 どうしても親や教師、良識のある大人達の「押しつけ」が必要である。 「しつけ」というのは教育の基礎であるが、これは「押しつけ」からきているそうである。 或る意味、教育とは「押しつけ」である。 大人でない子供に自主性を導き出す為には相当深い関わり合い、信頼関係の構築などかなり丹精を込めた愛情深いやりとりが必要となる。 「子供は思いどおりにならず、親の要求の逆に動くことが多い」という論があるが、これは一面「真理」である。 このあたりの子供との心理的な駆け引きの生来的にウマイ女性が時々おられて感心するが、これが生来的に下手な人もいる。 この上手と下手な差は、結果として大変な差異となるが、ワザワザ教育論と銘打って文章をつくっているワケであるから、その差を埋めるべく原則を述べておくとやはり「押しつけ」「強制的」「上から目線」「上手な駆け引き」「威張る」「権威的」「高圧的」「厳格」等、大人の社会では概ね禁じ手になるものを頻用しなければならない。 モチロン基本的・人間的な優しさとか愛情深さが大前提であるが・・・。 いずれにしても子供は心理的にも経済的にも自立していない存在であることをしかと自覚させておくべきで、大人になって自立しさえすれば自由と喜びを得られる・・・という風に常に洗脳しておくべきである。 子供が楽で楽しく 大人が辛く苦しい などという刷り込みなど、決してしてはイケナイ。 一生懸命勉強して大人になり社会に出れば、楽しいことが山のようにあって、素晴らしく夢のような人生が待っていますよと言うような「希望」を与えることは大人たちの義務なのである。 仕事は辛い、政治が悪い、社会が悪いと親や教師が述べ立てたり、テレビを見せてお笑い芸人やスポーツ選手、一獲千金の宝くじ当選みたいな話を価値あるもののように感じさせたりするのも良くない。 「ウチのお父さん」は毎日立派に仕事をして社会に貢献しており、お母さんは毎日家事やら仕事やら頑張っていて偉いんだ・・・みたいな言動を常々しておくことである。 マチガッテモお父さんの悪口を言ったり、お母さんの悪口を言ったりしてはイケナイ。 父親は「社会」の代表であり、母親は「家庭」の象徴である。 これらの批判をすることは社会(仕事)や家庭での成功や幸福を子供が実現する妨げとなる。 筆者の場合、少年時代のトラウマが結構あるものの、お父さんは偉い人でお母さんは料理のウマイ、夫に尽くす甲斐甲斐しい妻で、大人になることについて少々の恐れはあったものの、早く自立してお金を稼いで結婚して子供をつくって・・・みたいな、割に社会的に健全な価値観を刷り込まれていて有難い。 筆者の少年時代は家にテレビはなく、あっても見せてもらえず、中高の寮生活はまるで軍隊のような生活を強制的にさせられたので、今の自由でのびのびとした「大人の生活」がまるで夢のようである。 夜の店に入って自分のお金でお酒を一杯すすり、歌かなんか数曲歌う・・・というのがなんて素晴らしいことである・・・ということを実感できるのも、子供時代の或る意味過激な表現をすれば屈辱的な子供の立場を通り抜けてきたからであって、自由で甘やかされた教育の結果ではない。 それに二親の深い愛情に疑いをもったことは一度も無いので、これも人格形成にとって極めて大事なことである。 少年犯罪、成年犯罪に手を染めてしまった人々の特徴というのが、多く社会への強い復讐心、親や兄弟への不信頼から生じているものであるので、益々このことは強調しておきたい。 さらに戦前に存在した「教育勅語」には一度は目を通しておきたい。 教育の目的がシンプルに分かりやすく、正しく述べられていて「参考文献」として誠に好もしい。 ありがとうございました M田朋久 |