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■ リーガルサスペンス | 2012.11.11 |
映画で個人的に最も面白く感じるのが、このリーガルサスペンス(法律推理劇)である。 一時期、20年くらい前にジョン・グリシャムという元弁護士の作家の作品がつづけて映画化されて「ザ・ファーム(法律事務所)」「レイン・メーカー」「ペリカン文書」などがあって、いずれも傑作と言える。 「ザ・ファーム」はトム・クルーズ主演で、マネーロンダリング(資金洗浄)を闇で行う悪徳法律事務所の話。 「レイン・メーカー」は悪徳保険会社の大規模な不正を暴く話。 「ペリカン文書」はインターネットで政府の不正へアクセスしてしまった女子大生の話。 ついでに犯罪事件を目撃してしまった子供の話で「依頼人」というものもあった。 1990年代にはリーガルサスペンスの目白押し。 筆者のお好みは「NY検事局」「ア・フュー・グッドメン」。 前者はアンディー・ガルシア扮する33才の若さでニューヨーク地方検事に選ばれた男の活躍で、マスコミとのやりとりや法廷での訊問、検事選挙でのスピーチが見事で、ラストも若い検事候補に対しての多くの示唆に富んだ講義で、いずれも巧みな「スピーチ」が見せ場となっている。 人前でのスピーチ(言葉)がいかに人の心に対してインパクトを持つかというメッセージと、法律と人間の倫理観、嘘と真実との葛藤とかがリアルに描かれていて、とても興味深い。 映画であるから最後は必ず正義が勝つし、安心して見ていられる。 その上、所詮他人事なので面白いだけであるが、近々にそれらの訴訟沙汰に巻き込まれてみると「正しいこと」の証拠より「悪いこと」の証拠の方が出しやすいし、証明の難しさにおいても正邪については邪に分があるように思える。 「悪」というのは強いとも読むが「善」というのは弱さにつながる語感がある。 これが「正義」となるとパワーが湧いてくるが「戦い」の原因にもなるそれぞれの「正義」のぶつかり合いが「裁判」というものの本態であるので、自らの「正義」を信じて「戦」をすれば良いのである・・・。 けれども「裁く」側の人々のようにいかように映るのかは、まるで裁判というものが映画のように「劇」であるのは確かなようで、提出書類とか発する言葉というものに或る種の物語性、もっと言うなら「辻褄が合う」なら悪いことでも通ってしまうのではないかという危険性がある・・・という印象を持った。 いずれにしてもリーガルサスペンスばかり見ていたからこんな羽目(裁判沙汰に巻き込まれる)に陥ったのかも知れず、イヤイヤそうではなくリーガルサスペンス映画鑑賞も現実でのこの体験、わが人生における大事な必要欠くべからざる貴重な経験であるに違いないという確信があったりと、心中色々と考えさせられる虚実のまじった「法律推理劇」ではある。 主に書類を中心とした証拠なるものを証人と呼ぶ人々や、人間社会で生じるさまざまの現象、それは気候、自然現象、心の動き、人格、人柄、社会背景などを材料にして戦う「裁判」というゲームが生半可なスポーツなどよりもはるかに面白くない筈は無い。 人間の私利私欲にもとづいた、どんなに背徳的な訴えであっても、それを提訴されたら受けざるを得ないという事情もあり、法律というものと倫理との関係を追及していくと、その乖離は今や国際政治(領土問題)、戦争、経済不祥事(ウォール街の悪徳投資銀行による巨額の不当利得)などなど数え上げたらキリが無い。 悪人小人が法律を手にするとトンデモナイ事態になる・・・というのが個人や組織、国家社会、人類にとって由々しき問題であるなぁ・・・。 これが個人的な感想である。 それこそ真の意味の「リーガルサスペンス」が世界中のあちこちで川面に浮かぶ「うたかた」のように生じているというのが現代社会の実相であると思える。 ありがとうございました M田朋久 |