コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 恋愛学校2012.10.22

「恋の手ほどき」というのは普通、映画小説的には妙齢の女性が若い青年もしくは少年に対して手取り足取り教えるものであろうけれど、最近ではそんな知恵や知識や経験を持った女性も少なくなり、ただ年下好みの年増女性の単なる「火遊び」の類になり下がり、優しくも母性的でも無く、ましてや美しい恋物語では決してない。

最近は本当にロマンチックな「恋」というものが小説はロマンチックな「恋」というものが、小説はともかく現実や映画でも少なくなった感がある。
ケータイやネットなどで通信障壁が破壊された結果、恋の手順がケータイのメールのやり取りで簡単に完結してしまい、何のストレスも感興も生みださず、複雑な思考や恋の成立に絶対的に必要な忍耐力の欠如を生じせしめ、恋愛についての不毛の時代、ロマンチシズムの凋落を招いているのであろう。

前置きが長くなったが、本題の趣旨は切り口として全く違う視点で書いてみたい。

恋愛したい・・・という男女は多い。
ただし、方法が解らないのだ。
本も読まない、映画も観ない。
経験も少ないなんて人が対象なので、特に興味のない人は読まない方がよろしいでしょう。
時間の無駄である。
恋愛の前に、恋をする能力、好きになる素質と同時に、恋の対象になる為の多少の努力や工夫が要る。

男女共、恋愛力の劣っている若者が増えていて、最も大きな原因としてはコミュニケーション能力の低下があげられる。

その根底にあるのは母子関係、父子関係の変容が最大で、次に社会環境、教育環境の変化である。

母子関係については、たとえば母親と息子の関係が相性的に良好な場合に、息子の恋愛力が落ちる傾向がある。
息子の側に女性に対する努力の少なさ「マメさ」の欠如、即ち女性にモテル為のエネルギーの弱さが生じる為であろう。
つまり「女をみくびる」傾向が出現し、自分は何の努力も工夫もしないでも女性に愛される価値がある筈だという思い込みと同時に、逆説的に女性経験の少なさによる「自信の無さ」が原因していると思える。
男の場合「母子関係」が不健全過ぎると、それが「ストーカー」の温床になってしまう可能性もある。「自分が好きになった女性なら自分のことを大事にすべきである」・・・なんて感じの歪んだ思い込みを持っておられるのではないだろうか。
男女とも「失恋」を体験し受容することがいかに大切であるかを物語る極めて現代風の「犯罪者」がストーカーであろう。

女性の場合これが真逆で、父子関係、つまり父親と娘の関係がとても安易で良好な場合には自分に対する自然で理由の無い自信が生じ、男性に対する恐れを減じさせ、その容姿に関係なくモテる傾向にあるようだ。

男は努力、頑張り(勉学やスポーツや仕事)、女は恐れの無さ「愛され易さ」を生みだすようである。
男女共、それが祖父母であっても良く、何となく根拠の無い異性に対する自信みたいなものは「男は努力」「女は自然に」みたいに男性に厳しくなっている感があるが、これは女性の愛を勝ち取る為に、いかに男が「がんばる」必要があるかを物語っている。

このことは人類の発展の為に性的エネルギーが大切であるが、又、未だに社会というものが男性の努力を中心に進化発展して来たかを示している事実である。

一夫多妻の制度の方が一妻多夫よりも進歩しやすいという研究があるが、これらの事実を考慮すると「さもありなん」と言った感がある。

いくつになっても「男はつらいよ」なのだ。
世の中というものは・・・。

男女共学の問題もある。
筆者は中学高校と私立の男子校を出たので、女性への憧れとエネルギーは凄まじいものがあったが、同級生の多く、同窓生の多くが特徴として女性にモテない、男がいない・・・というより異常に「女好き」だったり、家庭生活に波乱が多かったり、バツイチとかバツニだったり、その方面で華やかな男たちが多い。

「男女共学」のヨロシクナイ面というのは「異性への憧れ」の消失なのではないだろうか。
お互いに離れている、離されているからこそ互いに惹かれ合うのだ・・・多分。
筆者は男子校を退学になり、1年間だけ男女共学を味わった経験があるが、そこで感じた一番のものは「失望」であった。
女子高生なるものの生態を間近に観察した時に「あ〜女性も人間であるのだ」という悲しくも厳正な事実である認識と共に。長年心に抱いていた「ロマンチックな憧れ」の見事な粉砕であったのである。

それでも「女性の愛」を勝ち取る為についつい頑張ってしまう習性だけは残っているようで、今回の表題のような文章をエラソーに書いている次第である。
女性の恋愛力向上の為に必要なことの第一は「性欲」の強さである。
これは多分に遺伝体質的なものであるが、ヤヤコシイことに「性欲」のレベルに関係なく心理的に父親との関係性において心的外傷(トラウマ)を負った女性の場合、男性への潜在的復讐心と自分は「イケナイ女」であることを無意識に証明する為に疑似恋愛をして不幸な結末(心理的)を演出する場合がある。
後者のタイプは「夜の店」や風俗関係のお仕事をされたりすることが多いが、勿論、普通の結婚をして普通の主婦だったりすることも少なくない。

ベースに恋愛欲、もしくは結婚欲のようなものがあるとして、恋愛力を高める為には女性の場合「見た目」については「色彩」とシルエットに充分注意を払いたい。
それに「香り」である。

色は薄灰色とピンク、シルエット(プロポーション)は10:7理論、即ちウエストとヒップの割合がヒップ100に対してウエスト70%が理想である。
香りは相性の問題があって少し難しいが、フェロモン(性臭)みたいなものと共に女性特有の香りを漂わせるパフュームやコロンには少し凝りたい。

女性だけが集まって談笑する番組やバラエティー番組の出演者や女性ファッション雑誌などは決して参考にしない方が良い。
最も理想的なのは「女子アナ」である。これは年齢を問わず多くの男性の意見である。少年男子については最近の女性美エロスは「セーラー服に膝上の黒ストとミニスカの隙間の締め付けられた太もも」らしいが、この辺の微妙なこだわりがいかにも日本人的で興味深い。
「女子アナ」人気もそのエロスに大人の「こだわり」が製作者に感じられて面白い」。NHK、民放を含め女性のアナウンサー、キャスター、各アシスタントのお姉さん達のファッションは参考にできるが、最近NHKの女子アナについては若者におもねって、やや悪化している風があるようだ。

上記の理由で、デートの時にはジーンズよりスカートが望ましい。
余程プロポーションが良くても、ジーンズやスラックスは防衛的である。その上中年以上の女性がパンツを履くと大抵5歳から10歳は老けて見える。女性のファションの基本は「肌の露出」だそうで上限年齢はなんと90歳であるそうな。
女性のジーンズは「私に触れないで」「私の性徴を見ないで」と言い暗黙のメッセージに、あくまで男性から見たら思えるものだ。

明るさとか笑顔とか素直さとか、男女共に好もしい人柄と表情はさらに大切であるが、前述した見た目を凌駕することは無い。
男性についてのこれらの向上は、一番に仕事好きで明るい勉強家、優しい行動、おおらかな性格というのが好まれるが、その上に強さ、たくましさ、頼もしさみたいなものがあり、最近ではこの上に男でも「可愛さ」が必要であると聞くが、このあたりのセンスは良くワカラナイ。
恋愛というものは人間にとってとても贅沢な「遊び」であると聞くが、最近はこれに興味の無い人が増えたとのことだ。
或る意味、とても嘆かわしい。
男女共「オタク」化、「オコチャマ」化している証に違いない。
健全、不健全を問わず恋愛というものが人格陶冶、人生勉強にとって結構大切であることは明言しておきたい。
恋愛学校に卒業はない。

ありがとうございました
M田朋久


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