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■ 反日デモ | 2012. 9.22 |
尖閣諸島をめぐって日中両国は対立しており、国民の間には主にマスコミやネットの煽動によって対立感情が亢進させられ、殆んど暴動に近い民衆の「反日デモ」が連日報道されている。 中国政府の対応は極めてあいまいで、煽ったり鎮めたり放任したりと、その時宜に応じて自分たちの都合の良いように変化させているようだ。 今日、9月18日は満州事変の契機となった柳条湖事件の発生の日だ。 この事件、関東軍高級参謀の板垣征四郎と石原莞爾によって立案され、実行に移されたらしい。 つまり、日本の軍部の謀略であったらしいのだ。 今も昔も謀略だらけで、日本も当時の「流行」に沿って植民地政策を選択していたようだ。 ちなみに日本人の世界的オーケストラの指揮者、小澤征爾の名前、親交のあった父親、小澤開作が板垣・石原の名前を一字ずつもらって命名したとのことだ。 当時、中国の奉天市(今は瀋陽市)生まれであった小澤征爾氏の音楽界における国際的活躍を思うに、少なくとも「名前負け」はしていないようだ。 話を戻すが「反日デモ」の様子を観察するに、確信的に感じるのはその奇妙さ、違和感である。 所謂「ヤラセ」ではないかという疑惑である。 国民感情というものは、もともと簡単に操作できるものなのではないだろうか。 マスコミの媒体としての力はラジオが一番で、次に新聞、テレビ、ネットとつづく。 声高なラジオ報道だけを何度も繰り返し聞いていると、物凄く興奮するのを体験したことがあって、それは「大韓航空機撃墜事件」というもので、韓国とソ連の戦争が起こるのではないかと思えるくらいクルマの中でのラジオ報道であったが、帰宅してテレビを観ていた家族のクールさに驚いたくらいであった。 テレビという媒体は、人々の心をクールダウンさせる力があるらしく、少なくとも感情の高揚は抑制させるようである。 多くの日本国民が「反日デモ」の報道をテレビで観て、興奮激高し、それこそ「反中デモ」や中国製品不買運動、在日中国人・中国人観光客への暴行と言った話も全く聞かず、益々おだやかで心優しい日本人の気質・性質がうかがえて、個人的にはとても好もしい。 昨年の3.11大震災の際に併発した「原発事故」の時にも一斉に逃げをうったのも最初は中国人であったと聞く。 最近、中国人というのは大陸的でおおらかなというイメージよりも、功利的で「こすっからい」との印象を持たされる。 「文化大革命」とか「天安門事件」とか、何となく血生臭いイメージ、集団で激高しやすいかなという、過敏というか単純というかという性向も仄かに見えて何となく失礼ながら民度の低さを感じる。 経済的発展はめざましいが、かつての日本がそうであったように中国はまだ後進国であるらしい。 何せ、つい最近までコテコテの共産主義国であったのだから当然と言えばそれまでだが・・・。 「改革開放」政策のお陰でめざましい経済発展を遂げた中華人民共和国も、新生ロシアも今の国際的行動、ふるまいを見る限り、まだまだせいぜい中進国なのかも知れない。 世界の文化の中心地は、まだ日本の東京であるらしい。 ただし、世界の大きな歴史の流れを眺めると、文明文化の中心はヨーロッパからアメリカ、日本の次には韓国、中国、インドと推移していくようだ。 アジアの時代の到来は避けられない地球人類の歴史の必然であるのだ。 ヨーロッパからアジアへの文明文化のパラダイムシフトは過渡期、橋渡しとしての日本の役割は「平和」のシンボルとしての国際的配役を振られているとのことだ。 世界唯一の被爆国、原発問題、アジア文明の入り口としての日本の果たす役割はとても重要であり、大きい。 2700年もつづいた非支配者としての国家元首、天皇を冠上に乗せ、世界平和の中心者として日本国、いや日本人の一挙手一投足は、中庸を旨として慎重、用心深くできれば、高貴で高尚であって欲しいものだ。 少なくとも今の日本人にデモは似合わない。 多少ウルサイ隣人でも、大人の対応が望まれる。 ありがとうございます M田朋久 |