コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 日本人の思想の源流2012. 9. 3

日本人の思想の根底には中国のそれが取り入れられている。
多くの日本人にその自覚は見受けられないが・・・。
江戸時代には武士の子弟は「藩校」で儒教を、町人は寺子屋で仏教の思想を学んだらしい。

中国の古典思想の柱は、儒家・道家・法家となる。
これに仏教とか神仙思想が加わる。
これらの思想背景が現代の中国社会には、マスコミ報道などを見ていると表面的にはあまり感じられないように思える。
けれども筆者の個人的に付き合いのある、中国人の若い経営者や高級官僚などの類と話をしていると、とても義理堅く、人情味や道徳心もあり、冒頭に述べた儒教的なマジメさ、道教的な悠々として広々とした心の豊かさなどを感じられて好感を持った。

中国の一般国民はマスコミや国家の一部の人々の誘導で、アメリカの悪い部分、即ち経済至上主義、拝金主義、マチガッタ法律感覚によって毒されているように見える。もともと共産主義が中国の深くて広々としていた思想体系を一時的に否定してきたためと思われる。

話を戻して、まず儒家について書いてみたい。
儒家、儒教の開祖は孔子である。日本の実業界の黎明期に活躍した渋沢栄一や終戦前の宰相で戦犯で絞首刑ななった広田弘毅が論語を愛読していたのは、よく知られていることだ。

この思想の根本は「恕(じょ)」即ち「思いやり」を中心に、人間の主に「善心」つまり善良な心を前提とした倫理的思想で、所謂、性善説に基づいた考え方を特徴とする。
これは孟子も同様で、孔孟思想とも呼ばれる。
一方、法家は人間の相互不信を根本にとらえた考え方で、放っておくと人間は悪いことをするから「法」の力で罰したり刑したりして、人間社会を管理しようとした思想で、その開祖は韓非子である。
この法家の思想を取り入れて国を統一したのが、あの有名な秦の始皇帝である。
しかし、この国家体制はわずか16年でついえてしまったので、人間の相互不信頼に基づく、言うならば法治国家というものが偏狭で厳しいもので、一般庶民の感覚にそぐわなければ良い政治、即ち「善政」でないことを証している。

儒家のめざした政治は、所謂「徳治政治」で、人間の本来持っている徳性、善性に信頼を置き、為政者もまた自らの「徳」を高めることで人々に良い影響を及ぼしていくというもので、現代の日本の政治では、この「徳治政治」「法治政治」のバランスの上にさらに「世間知政治」つまり、世間の人心の流れ、ムード、常識・良識みたいな、ややあやふやな精神的エネルギーで政治判断がなされる傾向があるようだ。

アメリカを中心として「法治国家」を高らかに謳い上げているが、実のところあまり程度の高い政治体制でないことは先述した内容を読まれたらお分かりになると思う。

「道家」の思想は面白い。
これは老子と荘子の思想なので、「老荘思想」とも言われるが、その考え方は
無為自然
柔弱謙下
上善水如
とかの四字熟語で表現され、少し難しい哲学的な思想で、現代風に表現すると宇宙思想とでも呼称できるであろうか。
人為よりも天為、不自然で人工的なものより大自然の方を上位に見るという考え方である。

小賢しい人知、さかしらな人間の企てなど宇宙の運行や自然の営みにくらべたら取るに足らない小さなことですヨ・・・と言った感じである。
これは無為自然を尊ぶ意味である。

柔弱謙下とは、柔く弱く謙っている方が固く強く、のぼせ上っているより安全ですヨ、安泰ですヨという考え方で、これもまた或る意味人間の生き方のひとつとして理にかなっている。
「上善水如(上善は水の如し)」とはそのままの意味、善なることは水のようである。
それは多くの生き物を育み、うるおし、時に固い岩石をもうがつほど強くもなり、下へ下へと流れ下る性質を持ち、すべてのものを洗い流す・・・と言った水の性質が最上の善ですヨという感性である。
これらの思想をまとめてバランス良く取り入れるのが国政にも会社経営にも応用することができ、徳治(儒家)・法治(法家)・天治(道家)を意識して、これに世間知(最近はマスコミが誘導する傾向があるが)、これらを時に応じて使い分けるのが人の上に立つ人々、リーダーの感性・知識として身につけておきたい。

意外なことに「易」というのは物事の判断材料としてとても有益な知識であるが、この学問(?)体系は中国五千年の歴史を持ち、伏羲という人物より創始され、孔子によってまとめられたものである。つまり易や占いというものは、儒教の教科書的な学問で、人間に「善」を勧めそれが「幸運」を招くと言い切っているのである。

チョット日本的に言うならば「勧善懲悪」的な内容になっていて、少し易の内容を抜粋して列記してみると

「積善の家には余慶あり、積不善の家には余殃あり」(良いことを積み重ねて来た家には慶び事があり、悪いことを積み重ねて来た家には悪い出来事が起こる)。「善も積まざれば以って名を成すに足らず。悪も積まざれば以って身を滅ぼすに足らず。小人は小善を以って益することなしと為して為さざるなり。小悪を以って傷(やぶ)ることなしと為して去らざるなり。故に悪は積みて掩うべからず。罪は大いに解くべからず」

敢えて解説しないが、ひとことで言うと「悪いことしちゃダメよ。運が悪くなりますよ」・・・ということになる。

善因善果、悪因悪果

多くの日本人の感性に存する、全体的に善なる思想であると思える。
「悪いことしたらバチが当たる」という感性もこれらの思想の庶民的に表現されたものと考えられる。

これに神道。天皇を頂点(親)にいただいて万世一系の国民(子)は、「やおよろずの神」神の信託者としてのその大いなる存在と徳の下、世界有数平和と繁栄を築いている・・・。

さらに根本思想の大御所は仏教。諸行無常とか、極楽浄土、地獄餓鬼、一方で慈愛、無の思想など宗教といううより深い哲学に近い思想体系が、自覚無自覚にかかわらず、一般国民の心深く浸透している・・・ように思える。

ありがとうございました
M田朋久


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