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■ 領土問題 | 2012. 8.26 |
世界中の国家間紛争での領土問題は割に少ない。 そもそも領土とは何ぞやと・・・と問うた時にその権利主張の根拠の薄いことが多い。世界一の大国、アメリカ合衆国からしてその領土としての出自は極めて怪しい。ネイティブアメリカン即ち原住民であるインディアンから堂々と奪い取ったわけで、これは歴史的に見ると南米諸国やアフリカのいくつかの国々、オーストラリアやニュージーランド等々枚挙にいとまがない。 アラスカなどはロシアから米国が買い取ったそうである。 原住していたエスキモーからすると、ずいぶん乱暴な話だ。 今回の竹島・尖閣問題について素人的に思うのは、当初、相手(韓国・中国)に対する憤り、恐れ・・・みたいな気分を味わったが、これは多くの日本人として当然の感情であろうと思える。 ところが、あらためて地図で同「領土」の位置を確認したところ、竹島については日韓の本土のほぼ中間にあり、それもやや韓国寄り、尖閣諸島にいたっては日本本土や沖縄などよりも殆んど台湾に近接しているではないか。 たまたま宮古島とか石垣島とかが近海にあって、この両島については幸い(?)日本語を話す人、つまり日本人が住んでおられて微妙であるが、それでも地理的には九州や沖縄から遠く離れた南海の諸島群の中で尖閣諸島の台湾、中国との「近さ」は際立っている。 尖閣や竹島に日本人が住んでいる風でもなく日本側が領有権を強く主張したとして、果たして国際的に通用するのであろうか・・・という疑問が心中に在る。 そもそも戦前は韓国も台湾も、一時的に日本の「領土」であったのだ。 この歴史的事実。 即ち、日本国が過去、強引に言葉も民族も異なる他国を領土として支配してきたという事実をあらためて鑑みるに、中国や韓国の人々の心情が理解できないワケではない。 日本人の被支配国体験は歴史的には無い。 他国、即ち異民族・異文化・異言語の人々からの支配を受けたことの無い幸せな国民なのである。 米国との戦争に負けて短い間、被占領国になったものの、その米国の支配はとても甘く、国家元首(天皇)は残されたままGHQ(general Headquarters)なる占領本部が設置され、国家体制を監視・指導したに過ぎない。 当時は共産主義への恐怖が米国にも日本国にもあり、それが防壁となって中国やソ連や北朝鮮とのバランス上、日本を同盟国、それも潜在的な工業国としてのポテンシャルを最大限に生かすべく、日本占領政策を敷いたようである。 占領本部(GHQ)の責任者・統括者である、ダグラス・マッカーサーに日本国をユートピアにする、理想の国家にする意図があったとの説もある。 いずれにしてもその後の日本の経済発展を慮るに、米国及び連合国からの敗戦が結果的に「良かった」部分があるものの、韓国も同様の経路を辿ったわけで、東西冷戦の終焉とともに生じて来たあらたな経済戦争、中国やロシアの覇権主義のそれぞれの台頭もしくは継続と、かつての被支配国の国民としての怨恨や敵対心、対抗心、劣等意識の裏返しとしての優越欲求など、複雑な国民感情をベースに、それらを煽る自国のマスコミ、国家の隠された意図、国際企業の思惑などなど、この領土問題の背景を分析するとキリが無いくらい考え込んでしまう。 ・・・というワケで、個人的に地図を見たところ、冒頭に述べたような感想を持ったところである。 もう一つの領土問題は言わずと知れた「北方領土」。 以前は樺太(カラフト)中部以南、北方四島はかつて日本の領土であった。 それが大戦以降、ソ連の南進にともなっていつのまにソ連領(今はロシア領)になってしまった(?)日韓中露の四国のこと「本土」以外の「領土」について支配、被支配の歴史を地理的な要素をまじえて深考するに「どっちもどっち」と言えなくもない。 ただし中国のステップインテクニックによる日本支配の端緒と考えるならば、安易に看過できる問題ではない。それこそ「水際」で食い止めなければ本土防衛上のハザード対応にならないであろう。 地理的に限定して日本列島を眺めてみると、ちょうど中韓とロシアとの領土関係は逆の構図になっていて、外国の領土が海上で近接していて、近接された側の国、即ち日本・韓国・台湾が気分が悪い、怯えているという印象を持った。 竹島・尖閣に居住民がいて、それが日本人でないのであれば領土としての価値は漁業権とか海底資源とか、戦略的な拠点とか多分あるのであろうが、国家間の紛争の火種、たとえば戦争とか経済協力関係の悪化などを考慮すると、この領土問題は国家間の間で冷静に話し合わなければあまりにも代償が大きすぎると思える。 つまり「小事を捨てて大事を取る」という深謀遠慮の政治的態度「大人の対応」がいずれの国にも求められる。 「領土問題」と言って国益だけでなく、妙な「感情問題」まで持ち込んで争っていたら結構面倒臭い事態にならないとも限らない。 かつてサッチャー時代のフォークランド紛争では、まさに「鉄の女」本領発揮。 英国軍をしてアルゼンチン軍を蹴散らせしめ、かの島でのフォークランド紛争を一気に、力づくで解決したワケであるが、今の日本にそれだけの度胸のある政治家もいないし、憲法上の理由もあったりして、そのような強引な手法も取れない。また日本国の今の完全に平和ボケにさせられた国民の全体的気分が、徴兵制を持つ韓国に、精神的に勝てるわけがない。まことに嘆かわしい日本国の現状である。 最近公開されてDVDも出ている「山本五十六・・」でも、どうもマスコミという存在は紛争や戦争を煽る傾向があって、この特徴は今の中国や韓国に顕著で、まるで戦前の日本のようである。 筆者の家系は神道であり、思想的にはほとんど「右翼」なのであるが、それでも戦争は嫌である。 自己愛の延長線にある家族愛、郷土愛、国家愛、人類愛と精神的に自己拡大を図って行った時に、思うのは、偏狭な愛国主義は時により、国家国民に有害ではないかと思える。自国の愛国心と他国の愛国心のぶつかり合いこそが一般国民の戦争紛争欲求の本態であろうけれど、中途半端な自己愛、未成熟な自己愛というレベルでは人類の戦争の歴史の終結は望むべくもない。 純粋で無垢な国益追求を国是とするなら、紛争や戦争よりも「平和」こそが国家少なくとも一般国民に益するのではないか・・・と思える ありがとうございました M田朋久 |