[戻る] |
■ コンビニメシ | 2012. 3. 8 |
昼食は病院食。 つまり、当院の患者さんたちと同じものを一人で食する。 夕食は原則として食べない。 したがって、会食・パーティなど以外は晩餐なし。午後10時〜12時の間に何か少し食べるだけである。 このような食生活スタイルであるので「誰かと食事する」ことは女性を含めて滅多にない。 体重も5kg程減った。 もともと夕食を共にするということが、家族と離れて暮らすようになる前から性向としてあったのであるけれど、昨年暮れからお酒を飲まなくなって、さらにこの傾向が加速されたようである。 昼仕事をして、夕食を食べないと生活のリズムがとりにくい。 何かを食べてゆっくりするというオンとオフの感覚が無いからだと思えるので、夕方は1時間ばかり仮眠を取り、あらためて砂糖ミルク入りのコーヒーを飲んで起き上がり、読書や本屋めぐりや各種セミナー、講演会、オートバイ、クルマ、映画と好みのメニューをテキトーに選択する。 今はそれらの元気も無く、午前2時頃まで何にもしなかったなんてことも起こる。 ひとつにはテレビの購入のせいであろうと思える。 テレビの底力は凄い。まさに怠惰人間養成装置だ。 早く何とかしなければと思っているが、これもまた愚図愚図と決断できずにいる。 死んだ母親に言わせるなら、筆者のご先祖は「殿様」であったらしく、そのせいで「独りで食事する」のを知らず知らずに好むそうである。 そう言えば、お殿様という人々は毒見の終わった冷たいお膳を一人でモクモクと食べているようである。 木村拓哉主演、山田太一監督の「武士の一分」では、そのようなシーンが出てくる。 このような我が性質の為に最も便利なお店が、その名のとおりコンビニエンスストア、所謂コンビニ(便利店)である。 簡単な食べ物なら、ひととおり揃っていて、買って来て独りですぐに食べることができ、誠に有難い。 別に侘しいとか寂しいとかは思わない。 便利生活そのものであり、これらを5分程で食べてしまい、風呂上りに静かに読書なんぞをしていると、結構シアワセな心持ちになる。 他者から見ていると、軽い「ひきこもり」状態とも思われるかも知れないし、自分でもそれは自覚している・・・けれど、どうもだんだんと付き合いが苦手になり、社交を嫌がり、これはもう完璧な夜間独居老人ではないかと、少し心配してしまうこともある。 さて、このコンビニメシの中身である。 まず、納豆と豆腐とさんまの缶詰め、リンゴ・みかんなどの季節の果物、卵など。 時々、カップ麺か「チンゴハン(レンジで温めるパック入りゴハンのこと)」に生卵・・・と殆んどメニューは決まっている。 このコンビニメシを夜の10時から12時の間に、食べる。 時々の外食は店が決まっていて、和食は馴染みの居酒屋さんで魚と海鮮の焼き物とフリービール。 洋食は30年来の友人の経営するビアレストランで、シェフにおまかせ、個人的なおまかせ料理が有難く、季節の彩り野菜を色々な魚料理を勝手につくってくれてとても有難い。 これらは、とてもおいしい・・・けれど、コンビニメシにはかなわない。 筆者にとって食事とは栄養摂取そのものであり、生きていく為の手段であり「楽しみ」には数えられない。 空腹感もそれ程もたないけれど「何か食べなければイケナイ」と思って、クルマに燃料を入れるような感覚で食事を摂っている。 世間から見たら、奇人変人の部類に入るかも知れない。 昔、エンゲル係数というのを学校で学んで、これは生活費における食事の割合のことで、これが大きいと貧しく、これが小さいと豊かであるとの評価をしていた時代がある。 これは「食べ物の無い貧しい時代には適正な貧富の評価法なのかも知れない。 個人的には、これがコンビニメシで小さい為に、この指標に従えば富俗層と呼べるのである。 「行動が起きない」「憂鬱な気分がつづく」一因として、この食生活の貧弱さにあるような気もするが、特に体調が悪いワケではない。 体重が70kgと、少し痩せてしまった以外には・・・。 バスケもできるし、バイクにも乗れるし、本も読める。 有難いことだ。 近所のコンビニのお姉さん、お兄さんたちも当然ながら顔見知りで、筆者が何を食べて生きているか知っているであろうし、独り生活しているのも想像しているのか、しないでいるのか触れないでいてくれるのも有難い。 経済的には街のオアシス、コンビニメシは外食産業の強力ライバルなのである。 少なくとも馴染みの夜の店とか居酒屋さんとかに行かない最大の理由がコンビニメシの存在にあるのだから・・・。 コンビニメシで生活している独身の男女は結構多いのではないだろうか。一人でレストランや居酒屋、食堂に行ける人はそれほど多くない筈だ。 10年程前、アメリカのスーパーに行ったら、ベジタリアン用とかを含めさまざまなパックメシがあり、とても便利であった。 これはまだ日本のスーパーには無い。 不思議である。 ありがとうございました M田朋久 |