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■ いい夫婦 | 2011.12. 6 |
その男女関係に対して「アソビ」か「マジメ」かと問われたら、この結婚に絡めた問題だけではないだろうか。 つまりアソビとは結婚を前提していない性的関係で、特に男性の側に詰め寄ったものであろう。 一方「マジメ」とは両者の間に正しい結婚を前提とした、主として未婚の男女の間に生じたソレを指すものであろう。 人間の性的関係における「結婚」というものの意外な重要性というか存在感がアソビかマジメかとの問いかけによって普通の人々の無思考という平木から刻明に彫り上がってくる。 個人的な感覚では本来自由であるべき男女の付き合いがその間にお金を介在させた場合、買春とか売春とか言われてやや背徳的で殺風景で犯罪的であると感じられると同様に、結婚というフレームをとりあえず意識しておかないとフマジメとかフリンとか世間や周囲から言われて肩身の狭い思いや罪悪感なども抱かせられながら「お付き合い」をつづけなければならない・・・か、もしくはあきらめて別れてしまうかしなければならない。 宗教によってはフマジメな男女関係はとんでもない罪を課せられ、重い刑罰を処せられることもあるらしい。 たとえば江戸時代、四国の讃岐地方は不倫をした男女は衆人の中で全裸にされ、膝を折らないで豆拾いをさせられる刑があって、こっちの方がはるかに猥褻で背徳的でケシカランと思うのであろうけれど・・・男女の問題についての社会の目というものは多分に嫉妬か猟奇的好奇心が混じっているようで、個人より社会という人間の集団とか取決めの方に何かしらより不純なモノを感じる。 愛し合った男女が性交渉を望むのは至極当然な流れであろうし、きわめて自然なことである。 それを堂々と誰の気兼ねもなく行うことができるようになるという意味では結婚も最初のウチは良いが、大概すぐに飽きる。 モチロン飽きない男女もいるが、多分少数派の筈だ。 それならば結婚などせずに、もしくは形式的法律的に婚姻関係であっても、時々会って夫婦関係を楽しむ「遠距離婚」「別居婚」でも良さそうであるし、逆に結婚そのものの楽しみのみを抽出できて男女のあり方として、結婚の形態としてひとつの理想のカタチではないかと思えるが、実際には双方の家族、夫婦、家庭についての価値観、理想像が違っていて、揉めたり離婚とかになったりと何かとトラブルが多い。 ホンノささやかな選択できる「ありのままの受容」と社会的人生観の成熟で解決できると思うのだけれど、これらの問題は殆んどの夫婦関係に存しているようで誠に悩ましい。 11月22日は「いい夫婦」の日だそうだ。 いい夫婦ってどんな夫婦と考えてみた時に一般的にはただ傍から見ていて「仲が良さそう」とか「温かい感じ」「お互いに思いやりあいそう」とかごく外見的、皮相的にそう見えるのを主にして中身は見るも無残、惨憺たる状況であったりする。 「たかが結婚、されど結婚」。 最近は自ら独身を通すという男女もおられて、個人的にナカナカ文化的な良い傾向と思えるが、社会的には出生率の低下がますます著しくなるようで、国家レベルでは人口力は国力とも経済力とも考えられるのでこれまた悩ましい問題である。 経済的には働いている男女が共同生活する生活便宜上の結婚ならば、単なるSEXの場としての結婚よりも少しく不純に思えるが、何せ寂しくないし、ひょっとしたら「子供が欲しい」とその男女が考えた場合には男女から父母に移行し、夫婦から家族、家庭に形態を変えて行き、ルームからホーム、部屋から家に住まいの感覚が変化して行く。 これらの流れはいかにも健全な男女間の成熟の過程で誰もこれに疑問を差し挟まないようであるが・・・。 そこでひとつのアイデアとして「結婚生活」というのとそれぞれの「人生観」「結婚観」をすり合わせる為に一時的に同棲期間をもうけ、1年以上2年以内に結論を出すというのはいかがであろうか。 ヨーロッパで昔あった「足入れ婚」みたいなものである。 何だか一時期にはアメリカ映画の影響か、愛し合った男女は結婚すべきであるとか、家族は常に一緒に居て愛し合うべきであるとか、親子はともかく夫婦の間には秘密が無く何でも正直に打ち明けて話し合うべきであるとか・・・。 間違っているとは言えないが、何とも堅苦しい規範というか思い込みというか重苦しい制限をお互いにし合ってお互いを苦しめ合うような気がする。 夫婦も家族も組織であるからルールや規則は少ない程良い。 メンバーが全員一致で了解している基本的ルール決めを行い、その中でイザコザが生じたらその事についてひとつひとつ話し合う・・・とか。 その中で自由とか自律とか喜びとか楽しみを得て夫婦生活の重苦しさ、息苦しさをドンドン減らしていこうという方向性もあって良いのではないだろうか。 夫婦を憎み合う地獄、家族を牢獄にしない為に・・・。 特に経済的にゆとりのあるカップルほどこれらのルールが要りそうで、生活に追われている貧しい家族や夫婦ならば自然にお互いをいたわり合い、身を寄せ合って生きるしか無いから当然離婚は少なそうであるが、統計上は恐らく貧困層と富裕層に離婚のピークがあり、中流層に少ないという結果になるのではないだろうか。 結婚は幸福の始まりであると同時に不幸の始まりかも知れない。 不幸でも幸福でも無いのが一番不幸とも思えるので何らかのアクション、人生の一大イベントとしての結婚も自らの人生観に照らして経済的に変容、成長させて行けば良いのではないだろうか。 永遠の夫婦愛はあっても永遠の夫婦など存在しえないのだから。 ごく現世的に人生を旅にたとえるなら、夫婦もまた、ただひとときの「道連れ」に過ぎないのだ。 ありがとうございました M田朋久 |