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■ 孤楽 | 2011.12. 5 |
こんなタイトルの本もあって、買って置いたのに見つからない。 多分読まずじまいだ。 何だか表題のように近頃はプライベートでは誰にも会わず、一人で本屋に行ったり、バイクに乗ったり、ドライブしたり、本を読んだり、映画を観たり、こうしてコラムを書いてみたりして独りで何かと忙しい。 この頃は何故か余程の好きな人でも、親しい人でも、長い友達でも必要最低限というよりギリギリくらいまで人に会わないでいる。 これは自然にしていてそうであるので、多くの人にとってたいそう不義理をしているようで気もひけるが、仕方がない。 58才の誕生日の近づいた老境初心者の正直な日常である。 願をかけて今年の8月からお酒を完全に飲まなくなったので、この傾向はいっそう加速され、殆んどの人とまるで没交渉。 家族はモチロン、とても大切で義理のある人に対してもこんな調子である。 その上電話もしないし取らないし、モチロン、メールの返信など全くない。 トンデモナイ個人主義者とも言えるが、ただひたすら「自由を愛する人」という風に自分を納得させている。 こんなワガママな生活をする為に今まで一生懸命頑張って来たような気もする。 「自由こそわが生命」 とうとう或る極めて親しい人とは絶交になってしまった。 あんまりネガトークばかりディスカウント(値引き、自分の行動を否定する言動)が著しく、着信拒否にしている人も何人かいる。 これではまるで「ひきこもり」ではないか・・・と思えるけれど自分の人生観である。 好きなように生きて行きたい。 こんな調子であるから最期には皆に愛想を尽かされてほとんど独居老人の仲間入りかと我ながら情けないけれど、唯一の社会との通路である仕事だけは何とか楽しんでいて大人としての体面を保っている。 同年の男達は殆んど家族の奴隷状態か、逆に見捨てられて毎晩酒や社交に明け暮れているか。 結婚願望まであるかつての大学時代の後輩までいたりして個人的には全く理解できないが、純朴にして無邪気に結婚で孤独感が癒やされる筈だと信じているのかも知れない。 宴席とか酒席、会合、パーティーなどは今や避けたい「課外活動」の最たるもので、これは月数回の医学講座などよりはなはだしい。 何でこんな男になってしまったのだろう。 ひとつには独りでできる遊びが多過ぎることがあげられる。 クルマはともかく、読書、オートバイ、映画など殆んど独りだけで完結してしまう。 それらの遊びに埋め尽くされたスケジュールは朝一発目の天気予報の確認で自分の志向性をあらためて独了する。 つまりバイクに乗ることをしたいことの一番目に置いて、後はせいぜいバスケの練習くらいがそこに入ってきて、他はとにかく仕事より忙しく本屋で書籍を買い、雑誌を買い、最近ではこのリストにテレビのスポーツ観戦や教育テレビ(今は「Eテレ」と言うらしいが)で著名な講師陣の興味深い話を聴いたりして目茶苦茶多忙である。 何とか気分が落ち着くのは深夜の2時とか3時で、この時間になると流石に誰かに電話をしたくなったりもするが、こんな時間に起きているトモダチもいないので睡眠薬を服んで強制的に入眠する。 あ〜あ、今日も一日終わってしまった。 オレは一体何をこんなにせわしなくネズミのようにチョコマカと動きまわって心がせわしないのだろう・・・と。 もっとゆったり生きてもっと人々との温かい交流を・・・と思うのだけれど当分はこの独楽がつづいていくのであろう風である。 ヤレヤレ。 しかしこれが楽しく仕方が無いというのも事実である。 近頃はバスケで走っても全然息切れしないし、特別体調が良いワケでもないが、カラダがキツイということも殆んど無いのが有難い・・・けれど天気であればある程この冬の独り遊びがますます加速しそうで怖い気もする。 ありがとうございました M田朋久 |