[戻る] |
■ 断捨離 | 2011.10.13 |
クラターコンサルタントなる「業」があって、その言わば創始者となられる、やましたひでこ氏の「断捨離」なる言葉が今話題になっている。 確かに現代人のモノに溢れた生活にはピッタリの言葉であろう。 やました女史の主張はモノとの関係性について問うたもので、女性の家事におけるひとつの収納術であり、表現術であり、家事芸術であり、美術であり、芸術である。 そのようにして快適な生活術であり、人間成長の手がかりを探っていくもので、ナカナカ優れた内容のもので殆んど異論はないのであるけれど、敢えてここで反論を述べてみたい。 健康の問題でもこの断捨離という言葉はマトを射ていて、特に生活習慣病についてはこの方針にマチガイはない。 即ち、 タバコを絶つ お酒を断つ 過食を絶つ つまり、口から入れるものをよく吟味して絶っていくという考え方は大切である。 何かしらの栄養素、例えばニンニクだ、ビタミンだ、鉄だ、コラーゲンだ、亜鉛だ、アミノ酸だ・・・なんてサプリメントを「入れる」より悪いモノを絶つ方がより重要である。 さらに「捨」つまり摂取(食べる)より排泄(出す)の方に熱心である方が呼吸における吐息、吸う息と同じように、まず「出してしまうこと」を先決とし、入れるのを次決とすると健康増進の上では望ましい食生活の態度である。 やました先生によれば、糖が第1で断と捨の繰り返しにより離が起こるそうで、医療的に「離」は病から離れる、健康を取り戻す、元気になる・・・ということを考えて良いかも知れない。 「離」は執着を手放して自由になる、解放されるという感覚もあるかも知れない。 筆者も完全にタバコとお酒を断って、或る意味素晴らしい解放感を味わっているので、女史のお説まことにごもっとも、とりあえず賛同しておきたい。 とにかく、まず排泄して色々なカラダに悪い食品、飲みモノを絶つことで健康になる・・・という理屈は実にシンプルで解りやすく患者さんに説明するのにも便利である。 また「断捨離」では7,5,1の法則というのがあって、 7:見えない収納(タンスなど) 5:見える収納(本棚など) 1:見せる収納(ディスプレイ) 即ち、タンス収納なども7割しか使わず、3割は開けておくこととかでその他の精神衛生と見的感覚、センスからもお勧めの割合であるらしい。 一方カラダに応用すると、見えない摂取は空気である。 水かも知れない。 これらは確か人間の肉体は7割が水分であるし、しかし一方で、主に酸素と二酸化炭素の循環、即ち絶えず呼吸をしつづけていなければならない。 一方で空気(酸素)も取り入れ過ぎると酸化を促進し老化を早めるそうであるからできるだけ深く静かに少なく呼吸し、目いっぱい呼吸せず、時々の深呼吸にとどめておくことがアンチエイジングの立場から最近すすめられている。 見える収納の5は食べ物を考え、腹八分などより腹半分(5分か6分)で充分。 それ以上は逆にカラダに負荷をかけるという説であるそうだ。 最後の1割は栄養素についての最低限の栄養食品は恐らく1割くらいしかないのではないかと考える。 多少無理矢理にこじつけて7,5,1の法則を健康法に捻じ込んでみたがいかがであろうか。 こういう法則というものは単純なほど応用しやすく、実に広く使用できるものなのだ。 確かに現代人はモノに振りまわされ、自分を見失っている。 モノにこだわって、心にまどわされ、出来事に関わり過ぎて、もしくは無関心で自分の精神エネルギーをムダに消費してしまっているようである。 この「断捨離」という思想は現代に良くマッチしている割と古典的で、凄く日本的な思想である。 しかしこれはあくまでモノであって、物や者ではない・・・と思える。 物は人物とか大物、小物とか「物になる」とかの意味があって人が成長し、立派になると 「物」になるそうであるから、この「物」を捨てるワケにはいかない。 物は生かして使うべきで、捨てたり断ったりするべきではないような気がする。 者の方がモノに近い気がする。 「ならず者」「邪魔者」「厄介者」という言葉もあり、「医者」というのも者であるので時々は遠ざけるべき存在かも知れない。 もちろん医師という呼び方もあるが・・・。 ついでに保護者という呼称も「者」が入っていて格下に思える。 「父兄」よりも「父」や「兄」は敬すべき人々という隠れた意味があり、教育的には実に好もしい敬称に思える。 何かしら威厳にあふれている・・・と思う。 つけ加えるならば、日本人の場合「私」を呼称する言葉は無数にあって、名前呼びでも役割呼びでもOKである。 即ち、私・我・ワシ・オレ・アタシ・お父さん・お母さん・先生・○○(名前)・僕チャン・めぐみちゃん・ともちゃん・・・等すべて私であるそうで、このような自己の表現法は西欧や中国では絶対にないそうである。 日本人では絆によって人々は平等につながっていて西欧、中国人では自己を中心に他者や世界が存すると捉えるらしい。 どちらが良いとか悪いとかではなく、この断捨離については多分に西欧的に思える。 つまり自己と他者(モノ、物、者)との関係性を自己の成長や精神性、快適性を追求することに活用しようという風にも受け取れる。 日本人は経営者を中心に人やモノを捨てないし、断たない、手離さない。 つまり拾って拾って拾いまくる東京オリンピック女子バレーボールの東洋の魔女(チョット古いかな)。 従業員もできるだけ辞めさせない(西欧では簡単にレイオフとか言って従業員を解雇する)。 モチロンお客さんを「断」ったりしない。 永遠に来て欲しいとさえ考えている。 そして自分の会社を売ったり買ったりはあまりしない。 日本の企業買収の成功者は孫正義(ソフトバンク)、永森重信(日本光電)がいるが、孫さんはともかく永森さんにとって買収は企業救済に近いと聞く。 ブランドを残し、旧経営陣さえ残すそうだ。 いずれも或る一面的捉え方であるが、純粋に東洋思想的には「断捨離」と「継拾合」のどちらにも偏らず中庸の道を歩くのが最高であろうと思える。 断ったり続けたり、捨てたり拾ったり、離れたり合したり・・・。 そのように人生や人類の歴史がしみじみと進化発展していく。 そのように考えている。 ありがとうございました M田朋久 |