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■ 娘 | 2011.10. 7 |
筆者の一人娘は21才になる。 今年の夏は、その成長し、少し女らしくなった自身を青森の公立大学からはるばる帰郷させ、父親との短い夏休みのひとときを楽しんだ。 バイクの後ろに乗り、古着屋で買い物をし、カレーライスの昼食を一緒に摂った。 その愛娘の姿をしみじみと見ていると彼女の幼い頃がありありと目に浮かぶ。 小児喘息だった彼女は、幼い心に深い孤独を抱えていた筈だ。 成長し、高校時代には拒食症にもなった。 父親の責任で母親との関係が不調だった為かも知れない。 母親、つまり妻は子供達に深い愛情を注ぎながら、やや厳しいシツケを施した。 子育ては上手な方だと思う。 お陰で子供の事で悩まされられたことは無い。 皆、心もカラダもとても健康そうだ。 それぞれに優しい心を持った、とても我が子とは思えない程マトモな人間達だ。 その中でも幾分複雑で屈折した傷つきやすい心を持った娘は、就学前や小学校時代にはコトあるごとに父親の胸で泣いていた。 喘息発作の時。 母親に強く叱られた時。 特に理由も無く、仕事中の父親を診察室に突然訪れ抱擁をねだった。 本当に可愛い娘である。 容姿が特に良いというワケではないけれど、それなりに美しく育った・・・と思う。 子供達のことを思うと、母親には深い感謝の念を抱く。 筆者にはとても子育てなどできない。 多忙な上にワガママで、金魚一匹飼えない人間だ。 そんな男が子供を養育など出来ようか。 ただ甘やかし、好きな時にただ自分の欲求のまま子供たちをハグするだけである。 保護者としてはともかく、養育者としては親の資格など全く無いような気がする。 ・・・けれどもイザとなったら必ず強力に、かつ徹底的に自らの身命に代えても子供を保護し、守ろうという覚悟と気概だけは持っているつもりだ。 自立や自律を阻んでならじと、時々子育ての本、「父親として」の本とかを繙く(ひもとく)が、それらはあまりにも個人的に実現化が困難に思え、また色々な反論・異論もあったりして殆んど実践・実行できていない。 この愛娘も嫁に行くのだろうか。 ダメージとして想像はできるが、実感はともなわない。 娘との甘い思い出はお互いに共有し、響き合っているのか、時々にはまるでアメリカ人のようにさりげなく抱擁をし合って別れる。 ・・・いつものように。 彼女が拒食症の時には、熊本市内の筆者のクリニックに入院させて学校に通わせたのが良かったのか、殆んど治療らしい治療はせずに難治のはずの病が自然に治ってしまった。 冷え冷えとした孤独な寮生活で、30数キロにまで減量され、青白く骨ばって醜くなった老婆のような肉体もみるみると赤みがさし、女性らしい柔らかいふくよかさを取り返し、自転車通学で幾分逞しくなって、均整の取れた肉体をしなやかに揺らして歩く姿は小学校時代の水泳の県大会優勝の頃をほうふつとさせる。 その入院中にも回診の数秒間のハグを習慣とした。 拒食症は多く母親との愛情問題の複雑なモツレが原因となるが、モチロン父親のソレも原因となりうるし、充分代用が効く。 安心と強力な保護を与えていくと自然に癒えていく。 今は幾人かのボーイフレンドもできて、大学生活を謳歌しているようである。 メデタシ、メデタシ。 一般的には女の子は生理的に父親を嫌悪するものであるらしい。 我々のような別居生活の長い父娘にはそんな気配もあまり無いようだ。 微妙な相性や思考回路の一致によるものかも知れないけれど、いずれにしても筆者のことを毛嫌いしているワケでも、嫌悪しているワケでもないようである。 息子たちと比べると娘は何かとムツカシイ。 同年代の女性が患者さんや夜の店におられて、「あ〜娘と同じ年だなぁ」と思いつつ、赤の他人であればクールに淡々と応接できるのに、わが娘となるとそうはいかないようだ。 奥さんもそうだが、娘はいつも何がしかの緊張を筆者に強い、同時に強烈な癒やしもくれる。 会うといつもドキドキする。 それが緊張か興奮か、恐怖か愛か不明である。 多分両方であろう・・・。 ありがとうございました M田朋久 |