コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 美しい自然に囲まれて2011.10. 4

山々の稜線に青く縁どられた満点の星空の下には、チラチラと民家の光が散在し、20年前に眺めたアフリカの夜を思い出す。

赤道直下にありながら、北ソマリアの高原は日本の田舎の秋の夜と同じように涼やかな風と透明な空気で、青のグラデーションに染められた夜空と秋虫の声は、はるかな国境を越え、全く同じようにロマンチックで心せつないほど美しい。

直線に広がる平地には、若草色の実りつつ稲穂が涼風に揺れ、秋の三日月に照らされて青々となまめかしくうねっている。
何の理由も無く、夜風の中に飛び出した愛車を、ゆるやかに流れる川原の沿道に画された小さな駐車場に停め、オレンジ色に灯る計器光を消す為にエンジンを切り、社外に出てジーンズと白い長袖シャツのままコンクリートに横たえて天空を仰ぎ見ると、昼間に熱せられていた筈の地面が冷たく背中を冷やすのを感じる。

この恵みに満ちた世界をあらためて全身で感覚するのに田舎暮らしは本当に有難い。
深い呼吸のしながら、星々のエネルギーを瞑目して浴びていると、心も魂も肉体も宇宙に溶け込んでゆくようだ。

日曜日の深夜。
通るクルマも全くない。
殆んど何も考えずにしばらく星空の下に静かに横たわっていると、何かしら人恋しくなって携帯電話に手を伸ばした。

いつもの声がごく普通の日常の世界から小さな端末機を通して懐かしく聞こえてくる。
心地良い秋風が頬を撫で、この腕をさすり、全身を優しく冷ましていく。

今年の秋も静かに、確実に過ぎて行く。
悠久の時間の流れを、宇宙の存在を感じるのに秋の夜ほど良いものは無いと思える。
冬よりも着衣が少なくて済むし、夏よりも空気の透明度が高く、虫の声がかもし出す心の静まりかも知れず、人恋しさかもしれない。

人間の孤独な魂が、実は宇宙の一部であり、全体であったことに気づかされる絶好の季節であろうと思える。
地球の軸の傾きと太陽の照射角度が生みだす四季の豊かさは、人間の種々の活動の全てに絶大な影響をもたらす。

もしも、季節が人間の時間(日・月)との調和と整合を少しでも崩したなら、大震災なみの自然災害と同じか、それ以上の甚大な被害を人間の社会に及ぼすにちがいない。

古代の人々のように、今よりも自然の驚異にさらされていた方が自然をより身近に感じ、その偉大さと猛威とに愛と畏れと感謝を現代人より多く感じせしめるのにちがいない。

街々に灯る夜のオアシス、コンビニエンスストアやテレビや自転車などが発する人工音派生装置を周囲に配された生活を送っている現代人は、この自然からの神秘なエネルギーや波動を感じにくくなっているのかも知れない。

吉村昭著「三陸海岸大津波」では、地震と大津波の数日前は不思議な大漁・豊漁がつづき、その襲来の直前には「トーン」という不気味な轟音が海の方から鳴り響き、それと同時に妖しい閃光がさしたと記録されているが、今回のそれは昼間で陽光が光を消し、色々な生活音が音を消し、魚の大漁を気づかせない程に自然と離れた人工的な日常生活を送っているのではないか・・・と思える。

時々、出張で出かける東京や大阪や福岡などの大都会には人工物があふれかえっている。
それらには筆者は少しも心を惹かれない。
パリでもルーブル美術館の偉大な芸術作品ですら都会と同じく興味・関心の外にある。

興味を惹くのは都会での唯一の自然の造物の偉大なる美の権化である「女性」にしか目がいかない。

それは男として自然な好奇心であり、自然(男)と自然(女)の自然なエネルギー交換であろうと思える。
筆者が大都会を好むとしたら、それは人間の多さである。
それらは“自然”観察を通して己を知り、世界を知ろうとしている。

・・・であるので、海外旅行でも同じ人種のいるアジアよりヨーロッパやアフリカの方を好む。
好奇心の満足度が格段に違うからである。

自然の恵み。
それは表面的には四季や自然に生じる植物や作物と、魚や肉などあるけれど、もっと密接には空気であり、水である。

そうして精神的にも深層心理的にも自然の恵みの最たるものはやはり母なる大地や女性であると思える。
男性という人もいるかも知れないけれど・・・。

ありがとうございました
M田朋久


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