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■ 少年のように | 2011. 8.23 |
立秋も過ぎ、今年の夏は終わった。 残暑だけがつづいている。 あんなにかしましく鳴いていた蝉の声も、いつの間にかヒグラシがいかにも秋らしく物悲しい音色を奏でている。 貸していたお金が思いもかけず返ってくると、何だか儲かったような気がするものだ。 そのお金で、かねてからの念願であった自転車を買った。 FIRAとかいうスポーツブランドのロゴの入った深紅のマウンテンバイク。 1万7800円。 サイズは26寸とかで、筆者の体格には少し小ぶりではあるが、コンパクトで子供のオモチャのように可愛らしい。 これに乗るにはやはり「半ズボン」だ。 それを求めて古着屋さんに行っても、スーパーや「しまむら」や、モチロン、ユニクロにも行ったけれど何かしらピンと来ない。 昔穿いていたジーンズの3本を思い切ってそれぞれの色に合わせて適当にハサミで切り、カットオフジーンズを作って、最も白っぽい出来たての半ズボンをはいて、これまた最も白っぽい明るい色のアロハシャツを着て、踝の隠れない短い靴下にスニーカーを履き、サングラスにショルダーバッグでその真新しい自転車にまたがり、少し前掲したライポジで炎天下の田舎町の通りを駆け抜けていると、思いの外、爽やかな風がはだけたシャツをはためかせ、ギラギラとした陽光とあいまって、自身が「真夏の果実」になったみたいで物凄くキモチイイ。 そうして心はまるで少年時代に戻った感覚で、何だかますます夏休み気分。 青々とした夕暮れの街路や、日中の炎天下や、山と川にはさまれた田んぼ道を小さな愛車で気ままに軽快に走っていると、真夏の爽風に溶け込んで、地上から数センチは浮き上がったような、少年の自由のシンボルをあらためて獲得したような心持ちがして本当にシアワセであった。 もっと早く買えば良かった。 ・・・自転車。 意外に思われるかも知れないが、筆者の少年時代にはこの憧れの自転車にはほとんど乗っていない。 小学校時代に、何度親にねだっても自転車を買ってもらえなかった。 当時の感覚ではピカピカの子供自転車を持っている、自転車屋の息子のシゲルちゃんが一番のカネモチであると信じていたくらいであった。 そうして中学受験と、中高一貫教育の進学校へ。 寮生活であるので、自転車は全く不要だ。 高校時代には、当時の少年達の常でオートバイに憧れたものの高嶺の花どころか、富士山のてっぺんに咲くブーゲンビリアのように絶対に実現しない夢のまた夢であった。 50代後半にして、やっと少年時代の大きな2つの夢を実現して今はとっても、それこそ夢のような幸福感を味わっている。 少年時代の夢と言えば、一番は女の人のカラダを自由に観察したり、触ったり、思いどおりに動いてもらったりして楽しむというのと、先述した自転車とオートバイであるので、今ではすべての夢が実現してしまったので、それを思い切り楽しむだけであるから自分の心身状態、体調管理、気分の良悪に注意するのが肝要である。 こうなると大袈裟に言えば何と言う素晴らしい人生であろうかと思える。 「お医者さん」になって仕事をし、自転車に乗り酒場に行って酒を飲み、好きなものを食べて、時々オートバイに乗る。 これが夏の日の少年の日の夢であったので、これがすべて実現してしまって満足しきっているのは、少し人間として程度が低くて我ながら情けないとは思うけれど、・・・仕方がない、本心である。 何となく精神的に堕落したとも思えるが、現実的な懸念や悩みは山のようにあるので、無意識に精神のバランスをとっているのかも知れない。 最大の懸案はやはり子供の教育、後継者の育成や医療経営や患者さんやスタッフの健康である。それらの大事を放擲しているワケではないけれど、自転車とかオートバイとか乗っている場合ではないとわかっているのであるけれど・・・。 女性の肉体と愛とクルマとバイクとチャリンコとあればシアワセ・・・なんて人にはあんまり言えませんネ。 それでも酒やギャンブルにハマるよりも健康的で仕事へのエネルギーを取り戻すうまいアイデアのような気もする。 自転車で川原の草ムラを走るヨロコビ。 クルマの往来する夜の街路を素早く横切る時のスリルとは何かしらコタえられない快楽が脳の中に厳然としてある。 男はいつまでたっても子供なんである。 韓流ドラマや俳優さんにハマっている熟年の女性達、夢見る夢子さん達も同じ穴のムジナにちがいない。 人生の楽しみ方なんてそんなささやかな日常の中にいっぱい埋もれていて、それをいかに感じることができるか。 その感性こそが生きている喜びの度合いを決めるのではないだろうか。 決して富の多さや地位や偉大な仕事などではないような気がする。 「生き生きとしたヨロコビがあるかどうか?」 これが筆者のような平々凡々人の豊かな?人生へのひとつの解答である。 とんでもない苦難・災難に見舞われた大津波・大震災の被災者の方々ですらそうした日常の喜びを1日の生きる糧として生活しておられるのではないかと想像しているがいかがであろうか・・・。 枕元のCDコンポで懐かしい音楽を聴きながら睡眠薬と扇風機と自らの裸の肉体体が生み出す絶妙な快楽は心地良い眠りの世界へと全身をいざなう。 子供のころの暖かい両親の愛、夏の自然のエネルギーを全身に浴びながら夏休みの少年オヤジは幸福な眠りへと沈んでゆく。 ありがとうございました M田朋久 |