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■ 桃色の人生 | 2011. 7.15 |
まだ就学前の幼い頃、父親の開いていた診療所の待合室で「明星」とかいう青春雑誌の連載小説で、当時のロマンス小説家でも若手の富島建夫のある作品が好きで、看護婦さんに字を聞きながら読んでいたのを思い出す。 高校生の恋愛モノで、主人公は「信子」。 挿絵の水着姿に物凄くコーフンしたのを記憶しているが、このどうでも良い物語の一節を思い出すといつも甘い心持ちになってくるので、何となく心の調子の悪い時には時々意識して想い起すようにしている。 知的で優しく、少し気の強いこの架空の少女は筆者にとってまさに「永遠のマドンナ信子さん」というワケである。 富島建夫はその後、どちらかというと官能小説家として活躍し、先年亡くなった。 恋愛小説もそれなりに成熟していけば官能小説になるのであろうけれど、青春ロマンス小説のあの甘さは消えてしまう。 「大人」になるとそのくらいでは刺激が弱いのかも知れない。いずれにしてもこの時が筆者の性への「めざめ」の最初ではなかったか・・・と思える。 初恋は小学校3年生。 勉強のできるメガネをかけた上品なお嬢さんで、色が白くひどく痩せておられた。 彼女のことが好き好きでその姿をじっと見ていたくて暗幕の張られた理科室にこもって、彼女が廊下を行ったり来たりする姿を1日中「見て」いたこともあり、学年が進級してクラス替えになったときには朝からず〜っと泣いていた。 我ながら可愛かったあるネ。 もともと内気で大人しい性格なので、初恋の人が誰なのか打ち明けたこともないし、これから暴露する気も無いけれど、彼女がカゼをひいて鼻水をたらしているのを見て、それを拭いたチリ紙を手に入れたいと思ったぐらい「好き」であったので、こうして匿名のまま文章にはしてみた。 異性を好きになる・・・というのはこんな感覚であろうと思えるが、この「好き」はまだまだつづいていて、ラ・ビアンローズ、「バラ色の人生」ならぬ筆者のそれをして「桃色の人生」と表現したらいかにもピッタリくるので表題に掲げてみた。 「誰かを好きでいる」というのはとても良い心持ちであるが、それを手に入れる、所有すると欲求した途端に苦しくなる・・・ことがある。 もしかしてその人が手に入らず、相思相愛とまでいかなくてもお互いに「好き好き」くらいまで届かないと欲望の強い人にいたってはその苦しみも生半可なものではないと思える。 「好きっぱなし」でいるというのは、ナカナカ達人にならないと出来ないもので、或る程度年齢を重ねて経験を積み上げて馴れるか、多少欲望が枯れて来ないとこの境地にならないと思える。 ただ、自己愛が強く、恋愛よりも自分だけの快楽、例えばマスターベーションを好む男女の場合、割に気楽にしておられるようだ。 モチロン性欲そのものが弱いか、強い「恐れ」の為に人を好きにならないか、元々その方面に関心がなく淡白な人の場合もこの限りではない。 「所詮この世は男と女・・・」などという言いまわしは好きではないが、それだと少しロマンチックでない。 恋愛という言わば人生の一大イベントの中の男女の愛の激しくも狂おしい生命にかかわる程、深くて奥行きのある情感を、まるで動物の交尾のようにひっくくってしまっていかにも殺風景である。 富島建夫のロマンスから官能への変節(?)が、ひとつの堕落ではないだろうかと思えるのと同様である。 少年時代に感じた普通の女の子への子供らしい憧憬も、一方では全身をとろかすようなエロスの喜びを大人の実話雑誌やエロ本の写真や漫画から得ており、まだ精通もしていないのに卑猥な絵や物語をつくって遊んだり、エロ写真を収集したりと、まさしく変態少年そのものであった。 この傾向は今でも厳然と残っているが、ほのかで甘くせつない恋心をも持ち得ていて、このコントラストという落差が我が心ながら興味深い。 人間の持つ陰と陽の併存と思えば何ら違和感もなく矛盾も無いが、最近まで、それらの性向についての激しい羞恥心に悩んだが、同種類の人間がかなり多数存在すること、インターネットやら多くの露骨雑誌を読むにつけ、それらの苦悩も今は殆んど消失している。 色事というくらいで、このような「感性」が無いと人生は桃色にならないと思える。 今は夏。 夏休みの夏は昼も夜も少年時代の「遊び」季節でもある。 昔の住居はクーラーも無く開け放たれていて隣近所のオジさん、オバさん、お兄ちゃん、お姉ちゃん達のあやしくもなまめかしい姿態や、多分にエロチックな匂いを帯びた情景が家々の窓や戸口からイヤでも目に飛び込んできたり、当時はジーンズやショートパンツやジャージではなく、浴衣や寝巻き姿の女性に、子供心をときめかせ、スカートの奥に密やかに潜む女性の未知なる「性の中心」に自然に熱い妄想にたぎらせてくれる。当時「それ」はこの世界の中心ではないか・・・とさえ思えた。 今ならば、恐らくパソコンにかじりついてそれらのエロスの抽出物を貪欲に、吸い取るのであろうけれど、テレビもパソコンも無い我が少年時代には毎日の生活や、町そのものや、映画や、雑誌がエロスのイメージの供給源であったので、或る意味とても幸福だったのかも知れない。 映画の時代劇や、ヤクザ映画で拉致されたりして縛られた女性などを観ると、気が狂いそうになる程淫らな気分になったが、未だ未精通の少年であったので、ただ世の中全体がピンクに、つまりエロスの坩堝に思えて結構シアワセであったような気もする。ただし女性を苛めて喜ぶという趣味は全くない。ただそのシチェーションが筆者の性的好奇心の核芯であったようだ。 大学を卒業して仕事を始め、結婚して妻帯し、子供を得てもこの心の傾向は終わらず、ようやく今少しだけ冷静に我が人生をふり返って、それに名称を付けるとすれば「桃色の人生」という呼称こそふさわしいのではないかと思える。 それも現在進行形の・・・。 悩ましい夏はそれらを思い起こすのに絶好の季節のようで、昼休みに裸で扇風機にうたれて寝転んでいる時に頭に浮かぶ桃色の「よしなしごと」を思うままに書き連ねてみた。 ありがとうございました M田朋久 |