コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 浮気妻の憂鬱2011. 6.28

以前は全然想像もしてなかったことのひとつに、現代では恋愛の対象としての「人妻」が急速に一般化、普遍化して世間でも普通に認められているような気がする。

若い頃は、恋愛というものは独身の男女の間にだけ生じるもので、まして純愛が妻帯者やかなり妖しく艶めかしい「人妻」との関係でも自然に生まれて来ているように喜ぶべき現象か嘆かわしい現象かよく分からないけれど、このような風潮は多くの所謂所帯持ちの心に夢を与え、また一部の男性の心を悩ましい嫉妬の妄想家に仕立てているようだ。

「愛する妻が家で何をしているか」などという想像を一度でもリアルにしてしまったら、激しい嫉妬を生み出す。
淫らでそれでいて蠱惑的な妄想の世界に誘い、男達の心をそのそれぞれの思惑や意図にかかわらず、精神的・家庭的混乱に投げ込まれることも稀ではない。

私達は携帯電話というダイレクトアクセスが可能になった個人の秘密通信機器を手にして、急速にこれらの傾向が加速し、建て前上、家の奥に閉じ込められていた一個の性欲を持った人間である「人妻」たちを社会に誘い出して、自らの意思にかかわらず恋の対象者に仕立てられ、一部の斡旋を業とする人々に「仕事」を創出している。
所謂「出会い系サイト」の広告に、いきなり「人妻」という「文字」がデカデカと何の恥じらいもなく表紙に掲載され、人々に何の違和感も感じさせない。
いったい現代人の倫理観はどこに行ってしまったのであろうか。

今や「人妻」はいつの間にか恋のプレイの相手の堂々第1位に君臨しているらしいのだ。

ここで人妻の魅力について考えてみたい。

「隣の芝生は青い」ではないけれど、他人の所有する美しい物品は魅力的に映る。
その最たるものは「人妻」かも知れない。
敢えて「物品」と表現したが、この感覚こそが人妻をしてエロスの権化にしているとも思える。

昔、幼い子供達を連れ家族で海水浴に行っていた頃、水着姿の自らの配偶者の様子の良さにいたく満足し、誇らしく、人に言えぬ密かな幸福感にひたっていたのであるけれど、それと同時に幾分細身の我妻とくらべしっかりと骨格のやや肉感的な人の妻らしい女性を見た時には心の内に何かしら嫉ましく悩ましい欲望、つまりその妻の所有者と言ってははばかられるが、その「夫」に対する激しい嫉妬心なども生じて来て、瞬間的に心の煩悶も覚えたりもしたものだ。
今はそのような感情・欲望は全くと言って良い程消失してしまったけれども「人妻たち」の見せる少女のように若い女性や独身の女性には見られない人妻特有の微妙な陰影と起伏を見せる魅惑的な肉体と、母性的な表情やそれなりに満ち足りた生活によって滲み出る落ち着きと、性的に開発されたであろう全身から発するメスのフェロモンが多くの男どもの劣情を喚起するにちがいない。

老若を問わず、この人気絶頂の人妻も一度倫道を踏み外してその道(不倫)を選択し、一時にでも「恋の奴隷」に堕ちた時に起こってくるさまざまなトラブル、中でも内心の激しい動揺や家内の騒動、離婚や別居や経済的な諸問題を全て引き受けるだけの心身と金銭的な弾力性を持った人妻もその相手もそれ程多くはない。

そのような実態を重々に承知しつつも、妙に不逞々々しく、意外にしぶとく生きていけるのはやはり母として、妻としての経験による自信なのであろうか。
男の場合、「自信の提供者」は女性の愛と尊敬が一番である。
それを得る為に賢い男達は仕事での成功を求める。
稀に仕事そのものが仕事の報酬であるような立派な人物がおられるが、そのような男達ですらよくよくプライベートを調査分析してみるとそのような「エネルギー源」となるような女性の存在があるものだ。

「人妻」はそれらの提供者としての母性と女性(オンナとしての性的な存在)、愛情と尊敬の発信者として或る意味「万能」なのである。

かくて「人妻」の魅力は母性が少なく、その性表現が露骨な割に淡白な若い女性を凌駕して堂々と女の玉座に君臨しているのである。

モチロン、ロリコン系、つまり未婚で未出産の「若い女の子」を好む男性も多い。
多分、若さへの渇望か若さだけでしか生じ得ない美への執着が一部の真正ロリコンか芸術家の一部に多く、たとえば画家のパブロ・ピカソ、映画のチャールズ・チャップリンなどはその傾向があり、次々と若い女性と恋仲になり(というか好餌として)その長命と芸術への欲求の原動力とした。
若い女性の「生のエネルギー」はやはり絶大なのかも知れない。

いずれにしても多くの人妻たちはそういったことへの倫理観のうすい好き者の男たちの格好の標的にされているらしいが、このような傾向は大昔からあったようで、ローマ帝国の「皇帝」ジュリアス・シーザーや大将軍サマの徳川家康も「人妻好き」の戦国時代の英傑であったと聞いている。

まさに「英雄色を好む」というワケである。
当の人妻さん達の心の内は筆者が男の為か全く見当がつかない。

夢中になって色事に励んでおられるならば、それは一種の狂躁状態かも知れない。
数年が経ち、愛も冷め「現実」に直面した時に鬱状態におちいるのは意外にも男性のようである。

しかしながら人妻たちは浦島太郎のようにかつての容色を失い、存在感の無い老婆へと衰変していくのか・・・と思いきや、奇妙にツヤツヤと生命力に満ちあふれ、何も無かった貞淑な人妻よりもはるかに艶然としておられるのは、配偶者を持つ男としては喜ぶべきか恐れるべきか・・・驚くべきことである。

流石の浮気妻も夫ではなく、愛人に去られた時の悲嘆ぶりは独身時代よりも激しく、それこそ鬱病みたいになられるが、それほどの苦悩はその欲望の強さに比例しているようで、そちらの方の「味を失っている」からであろう・・・と想像される。

総じて恋多き女性は若々しいようであるけれど、性悪な男性と付き合ってボロボロになるケースもあるので、大きなお世話かも知らないけれど、一言注意をしておきたい(何だか説教くさいですネ)。

ありがとうございました
M田朋久


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