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■ 自由 | 2006. 1.21 |
自由という言葉は奥深い。「自ずからに由る」 好き勝手、欲望、感情のままに行動するというのが、世間一般の「自由」らしい。 民主主義というものは、一般大衆は賢く、善良であり、正しい判断を下せる、という前提があって初めて成り立つ。 すると、一般の国民の精神的レベルが低い、つまり民度が下がってくると、民主主義も結果が怪しくなってくる。 ポピュリズム(大衆迎合主義)という政治手法が、世界中で横行している。 一部のエリートの集団(官僚など)を仮想的とみなし、自分たちは「大衆の味方」として振る舞い、大衆・民衆の人気を惹きつけ、「得票」を伸ばし、政権をとる。 かくて、政治も、それに従わざるを得ない国民も、どんどんレベルが下がっていく。 つまり、「英知」というものが国家に反映されにくくなっていく。 日本人の倫理観は、世界中でも高いレベルと言われる。 伝統的精神も然ることながら、逆行と呼ばれる部分も感じられる。 寺子屋や藩校など江戸時代からの教育制度の遺伝子(?)かもしれません。 自由と民主主義。 精神的背景がしっかりしていないと、危険な思想となり得る。 特に最近の子どもたちには、その「被害者」が多いように見える。 「真の自由は、精神の自由だけ」という言葉あり。 さまざまな欲望や感情、衝動、あるいは思い込みという妄想に近い固定観念など、ありとあらゆる「不自由さ」の中に人間はいる。 まず、自ずからの「不自由さ」を自覚することから、本当の「自由への逃走」が可能となる。 読んでくださいましてありがとうございました。 濱田 朋久 拝 |