コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ お金の為に生きる人々2011. 6.22

「Time is money」という言葉がある。
「時は金なり」というワケである。
実のところ時間は生命そのものであるので、Moneyどころではない。
「Time is life」「時は命」である筈なのであろうに、このことに明らかな実感を持って生きておられないようにお見受けされる御仁が時々おられて、余計なお世話かも知れないけれどこうして筆を滑らせている。

現代に生きる人々にとって、お金の大切さは重々理解しているし、生活に困っている人々や毎日の生活の為にお金を求めざるを得ない人々にとって「お金」はそれこそ「生命」よりも大切なモノに思えてくるのも全く共感できないワケではない。
けれどもさしたる金銭的困窮もなく、どちらかというと経済的にゆとりのある生活をなさっている人々の中に、表題に掲げた「お金の為に生きている」としか思えない・・・イヤ「お金の為だけに生きている」というような生き方をなさる人々に接して「一体この人達は何を考えて生きているのであろう」と首をかしげ考え込んでしまうことが近々頻繁に経験する。
「人生には限りがある」「あの世にお金は持っては行けない」。
この二つの解りきった真理を少しだけ深く知るだけでも、そんな生き方などできないだろうと思うのに・・・。
何故なんだろう。
とにかくお金を守ること、稼ぐことに必死になっていて周囲が全く見えない。
それはまるで生命がけでするスポーツ、たとえば「ボクシング」のようである。
自らの本能的攻撃欲を解き放ち、気が狂ったように殴り合うスポーツも本当はクールなアタマで行われるものであるのだけれども、少なくとも傍から見ると「相手を殴り倒す為」に「自分の生命を賭けている」ように見える。
そんな感じで「お金を得る、もしくは守る為に」「生命(時間)のすべてを賭ける」・・・という印象があって、このような人々をクールに見ていると何かしらの恐怖と一抹の軽蔑を心の底に覚える。
「おぞましい」とか「浅ましい」とかの幾ばくかの「嫌悪」すら感じさせる。
ご本人達はそういう行動に何の羞恥心も感じておられないので、何と説明して良いか判断しかねるし、根本はそれぞれの人生の問題であるから本当は全く余計なお世話なのであろう。
けれどそれが身内の問題にかかわってくると他人事のように呑気にもしておられない。

金銭を得る為の最悪の選択肢というのは、所謂強盗殺人であるけれども、巧妙に特殊な技術をもって他人の財物や金銭を盗むドロボーと同じく、巧妙な言葉やハッタリや脅し、書面や法律の裏事情を巧みに操って他人を騙してお金を手に入れるという訴訟行為に地道をあげて全く人間としての羞恥心を忘れて、そのような行動に明け暮れている人々を客観的に観察した時に思うことのひとつは、その人物の思想とか哲学とかとその欲望の根源は何なのかという疑問である。

「一体、アナタの人生でお金がどのような意味を持つのですか?」という問いを発してみたいものである。

実際にはお金が無いと会社が倒産してしまうとか、重い病気の治療が出来ないとか、刑罰を免れ得ず収監されてしまうとかの色々な差し迫った事情に身を置かれた人なら確かにお金はその人の生命と同じくらいに大事なモノであろうけれども、何とは無い漠然とした将来への不安とか贅沢な暮らしへの執着とか、のっぴきならない恋の為にお金が絶対必要であるとかの、言うならば自らのワガママな欲望の為の金銭を渇望し、何が何でも取ってやろうというのは人間としてとても恥ずかしいことのように思える。
誠にケシカラン行動である・・・と思える。

或る程度の名誉も地位も安楽な生活も現実に得ている人々において、そのようなお金への執着というものは「欲張り」というものであろう。

仏教で最も戒められている教条のひとつ「貪」。
貪欲であり、それに付随してくる「瞋」(怒り)であり「痴」(愚かさ)の象徴であろうと思える。
道教的に言うと「知足の戒め」の欠如であろう。
足るを知るのはひとつの人生を精神的に豊かに生きようとする賢い人間の智恵である。
さらに進んで、すべての事柄について今を生きていることへの深い「感謝」と「満足」はどれだけ人生を心楽しく、喜びに満ちあふれさせ気楽にするか考えてみられたら・・・と思う。

昔からの童話や色々な寓話に表されているように「欲張り」な人間は「損をする」と相場が決まっているではないか。

日々の生活への「感謝」と「満足」で日々を生き、心豊かに生きようと志す人々にとって「お金の為だけに生きる」ということは殆んど皆無なのではないだろうか。

商売人やビジネスマンにとってお金を求めることは現代では善とされているらしいが、だからと言ってそれを求める為に何でもして良いということは無いであろう。
仕事上はお金(利益と言っても良い)を求めるのは現世ではチットモ悪いことではない。けれどもそれらの個人や企業の活動がお金「だけ」を求めるのであれば、それは何かしらの「倫理観欠如」と断じてよろしいかと考えている。
いかがなものであろうか。

かの大震災の折に、天皇皇后両陛下のご訪問がなされた時に「そんなことより金をくれ〜」と叫んでいた男性も両陛下に対面した時には大声で泣き出したそうである。
少なくとも高貴な人々、人生での大成功者にお金の為に生きる人は少ないように思える。

ありがとうございました
M田朋久


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