コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 海猿、山猿、岩猿2011. 5.19

イケメン男優の伊藤英明主演の映画「海猿」はシリーズ化されていて、結構ヒットしているようだ。
海上保安庁のレスキュー隊員の活躍が感動的に描かれている。
小栗旬という長身痩躯のこれまたイケメンの若者主演の新作映画「岳」を観た。
これは長野県警の山岳遭難救助隊を中心とした、その周辺に活躍する山男のボランティアの主人公を演じ、結構カッコよかった。
物凄い山についての知識、経験、能力もさることながら明るく屈託のない性格、優しさ、チョッピリの憂い等。
どちらも所謂ケーサツに分類される組織なのに、その中心的活動は人命救助。
どちらかというと消防、救命救急みたいな印象を受ける。
決して悪人退治ではない内容になっている。
この時期(東日本の震災)には実にタイムリーで、リアルで身につまされる上に「人助け」「救難」というものの難しさ、大変さを多少でも窺い知ることができて、個人的にかなりインパクトのある映画であった。
人を助けるには自分が元気でないとダメだ。
仲間が頼りにならないとイケナイ。
そんな風に確信させられた。

さて、最後の「岩猿」であるが、これは筆者の単なる語呂合わせで、実は自衛隊のことである。
この度の大震災の大活躍には感動させられるが、そのことを日本のマスコミは取り上げるが、当の本人達は殆んどその英雄的とも言える人命救助、遺体捜索、救難活動を黙して語らず、静かな物言わぬ集団、言わば「言わざる(岩猿)」とごく個人的に呼んでいる。

これは自衛隊の組織上の問題、その存在上の宿命と思えるが、何せその活動は国際安全保障上の観点からは実のところ国家機密に類することなのであるから当然と言える。

災害支援に5万人出動、10万人出動といった具体的数字の公表も本来の目的である国防、即ち想定外、想定内を問わず不測の外敵に備えるという立場からすると大変危険なことであるらしい。
敵国に情報を漏洩してしまうという意味で国防上のABCであるらしい。

先の大震災の教訓からか、今回の東北の災害における自衛隊の初動は早かった。
政府のコメントには「想定外」とか「未曾有」とかの言葉が頻出していて、災害のレベルがいかにも不可抗力であったかのようの「モノ言い」をしているが、危機管理という観点からはこのような表現はあまり好もしいものではない。
「天災は忘れた頃にやって来る」の諺どおり、平時からあらかじめ想定しておかなければならないことであるのだ。
特に為政者は・・・。
この程度の国家危機への対応から鑑みて外国の侵攻侵略が大々的に奇襲攻撃を仕掛けて来たら一体この国はどうなるのであろうか・・・。

原発の問題も含め「想定外」は許されない・・・と思える。

自衛隊東北方面総監では「みちのくAlert2008」なる防災シミュレーションが行われていて、それはマグニチュード8.0、震度6強、大津波発生、死者・行方不明者2万人、避難民16万人というほぼ今回の震災の規模に近似したレベルの被害が「想定」されていて、それは前もって訓練されていたと聞く。

自衛隊は訓練されていないことは「出来ない」らしいので、平時における訓練は必須であるのであるけれども、為政者や国民の多くやメディアにはこの事がピンときていない。
何事にも練習というものが要るのだ。
世界最大級の巨大な震動を生み出す地震対策の実験装置もあったらしいが、この装置は300億円以上もかけてつくられたが、小泉政権の時に3億円という、言うならば二束三文で民間(造船会社)に売却されたそうである。

自衛隊イコール災害救援者ではないのであるが、実際に国家的危機、戦争状態も含め大災害時におけるその存在は誠に頼もしい。

吉村昭氏の傑作歴史小説「三陸海岸大津波」を読むと、津波の被害のむごたらしさ、悲惨さが現在のそれに上回るリアルさで表現されている。
人々は遅い救援物資、給水、給食、腐敗する肢体の散乱する海岸を放置され、遺体確認も無いまま油をまいて焼かれ茫然自失、どこか狂人となったり餓死者が出たりと人々は今のレベルでは考えられる以上の悲惨な状況に甘んじていた。
時の明治天皇の事態を憂いて率先して自ら義援金を出され、軍隊を出動させ何とか事態を収め復興を遂げたのであるが大したものである。

三陸海岸には計18回も津波が襲い、大きいものに明治29年6月15日、昭和8年3月3日。
いずれも夜に、そして深夜に襲来し、前者は雨模様でまさに「寝耳に大水」大変なショック状態だったであろうことがうかがえる。

ついでに丁度物理的真正面に対極する南米のチリ沖の地震に呼応し、この地球の裏側に存する大陸の深海に生じた地殻の変壊は津波となって数十時間の旅をして日本の三陸にノソノソと招きもしないのに来訪し、結構大きな被害をまたもや三陸海岸にもたらしている。
近々の昭和35年(1960年)にそれは起こり、三陸沿岸の津波の歴史にその刻印を残している。
今回の震災における岩猿(自衛隊)の活躍を支えたのは政府でも国民でもマスコミでもなく自衛隊自身であった。
この自己完結型の組織には水や糧食、燃料はモチロンのこと、医療・衣類・住居あらゆる生活の必需品、装備、人的資源を擁していて、緊急時の人々の対処能力には一般社会の依存体質によって生じた災害に対する思いがけぬ脆弱さからすると大変な頼もしさである。

今回の国家的レベルの災害に対しては、戦争状態に近い被害が実際に出現しているのであるから「国家安全保障会議」を開く、「国民保護法」を適用するなど政府の強力なリーダーシップを発揮するべきであるが、現為政者達は○○会とかの会議ばかり開いて識者・学者を集め、実行決断が遅くなっているキライがある。

「脱官僚」とか「自衛隊は暴力装置」。
国家とか天皇とかの存在に重きを置かない総理大臣とその配下、仲間によって構成される行政府であるのでいたしかたないかも知れない。
官僚、幕僚(自衛隊の統括者)らには指揮権は無い。
国家的危機的状況におけるすべての指揮権は内閣総理大臣に集中している。

繰り返すが国家存亡の危機、例えば「戦争」などになったら一体どうするのであろうか。
「脱官僚」ついでに「脱幕僚」では戦えないのではないだろうか。

ありがとうございました
M田朋久


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