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■ 電気 | 2011. 4.18 |
今回の震災の影響の最大の事柄は、尊い人命の喪失とこの表題に掲げた「電気」というものではないだろうか。 友人で宮城県の石巻で開業している医師からの必要な物リストの中に乾電池とローソクというのがあって、ブルーシートという物品と含めてずい分奇異に感じたものであるが、先日コンビニで読んだ雑誌のグラビアで見た「月光の残骸」つまり光のなくなった夜の被災地の真っ暗な街並みを知った時、ハタと合点したワケである。 我ながら鈍いアタマである。 私たちは素晴らしい電化生活を送っているのだ。 深夜のオアシス、コンビニエンスストアには人間の生活の必需品が殆んど煌々とした光とともにそろっている。 そうしてそれらはすべて電気によって養われているのだ。 まず冷蔵する、暖める、照明、レジスター、ATM、まるで電気文化の象徴のようであり、それに埋没しているようでもある。 この文化生活から「電気」を一気に引き抜いてみたら一体どうなるのか、にわかにはリアルに想像することはできない。 まず光、照明である。 昼間ならともかく、夜は月光がなければ街であっても闇である。 そもそも現代では光あってこその街なのである。 室内でも上手に歩くこともままならない。 まるで盲人である。 電気の無かった時代、人々は「炎」の光を使っていた。 つまりローソクや松明やかがり火である。 これらの原始的光源が災害時の光となるのである。 このような状況で電気の有難さなど忘れ去ったかのように人々は原発への不信をかしましく言い立てる。 確かに原子力発電所の事故は痛ましい後遺症を残す。 「原発事故」の歴史はアメリカの「スリーマイル島」、ロシアの「チェルノブイリ」と悲惨な健康被害をもたらしたのは周知のことである。 原子力発電にともなって生じるプルトニウムには発癌性があるのだ。 現代の原子力発電は主に「核分裂」によって生じた熱エネルギーを利用してタービンを回すことで電気を生み出すので、その立地は冷却の為の海水を要し、海岸に設置される。 近々「核融合」によって生じるエネルギーを使った発電が実用化されれば有害な放射線は生じないといわれているが、今のところその実現には少し時間を要するようだ。 原子力発電と言っても、人体に有害なものばかりとは言えないのであるが、日本における原子力発電所の草分け的な存在である1971年に建設された双葉町の福島第一原発が地震・津波の被害に遭い、今や災害の後遺症の最大のものであるが、誠に皮肉な事実である。 つまり災害によって最も困ったことが電気と燃料であると同時に関東・東京で最大とも言える電力の供給元である原子力発電所が被害に遭ったということがである。 今や総発電量の35%近くを占める原子力発電。 「脱原発」をかかげるドイツですら原発大国(70%)フランスから電気を買っているのだ。 キレイゴトばかり言っていられない。 水力発電・火力発電は石油、石炭、LNG(液化天然ガス)・太陽光発電・風力発電・地熱発電、海洋温度差発電、潮汐発電、波力発電、いずれもまだまだ開発途上の電力源である。 イヤまだまだ貴重なエネルギー減はある。 「水力発電」である。 我が国のエネルギー自給率のわずか4%に満たないが、その殆んどがこの水力発電である。 このややノスタルジックな発電方式もまだまだ貴重なものなのである。 電気を生み出す仕組みは運動エネルギーでタービンをまわし、電気を発生させる極めて単純なものであるが、最も原初的な電気エネルギーが静電気、即ち摩擦エネルギーによって生じた電気である。 それらの電気が再び光となり、音となり、熱となり、冷気とかの動力となり私たちの快適で便利な暮らしを支えている。 これらの電気の仕組みを思う時、東京電力・関西電力・九州電力いずれも大変な大会社であるが、純然たる「民間企業」としていて良いのであろうか。 国営とまでいかなくても緊急事態においては国営、最低政治指導で自衛隊と同じようにその管理体制を緊急対応させるべく法整備をすすめるべきではないだろうか。 今でも水道は公営である水道局が全国に存在する。 それと同じように電気局、ガス局、交通局が少なくとも災害時に力を持つべきとも思える。 ついでに書き添えると、以前に米国のアル・ゴア氏が映画「不都合な真実」のコメンテーターとして出演し、製作にも関わったらしいが、これは主にCO2排出による地球温暖化の地球環境への悪影響をまことしやかに描いてノーベル平和賞をもらったが、この背景には原子力発電の推進とそのまた背景にはウランの開発者の利権が絡んでいるそうだ。 そうであればとんだノーベル平和茶番劇である。 これらの動きに世界的にストップがかかり、オバマ大統領はじめ世界中の関係者はさぞ困惑しているであろう。 ありがとうございました M田朋久 |