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■ 義援金について | 2011. 4. 8 |
とってもセコイ話ですけど、義援金をいくら出せば良いのか迷っている。 コンビニや普通の店舗の窓口に置いてある募金箱にわずかな小銭を入れるのも抵抗あるし、医師会やら各種団体や学会から1口1万円とかの募金の呼びかけがあったりするが、これは正直有難い。 義援金とか寄付というのはあくまで有志の人のモノで、出しても出さなくても何の問題はないのであるが、一般的にビジネスセンスに長けた人とか全国的に有名な各経営者、知名人、有名人は数億円ものお金をポンと出すので、我々庶民からするとヒックリ返る程驚いてしまう。 以前に「金持ちの法則」というコラムを書いて、その第一の共通項が「寄付をする」ことと述べたが、所謂お金持ちは莫大な寄付をして一旦お金が減ったように見えるが、結果的に資産が増えたりすることが多いそうである。 この理由はホントのところ今でも個人的には良く分からない。 以前のコラムもその道の研究者の単なる受け売りである。 ソフトバンクの孫正義氏が100億円、ユニクロの柳井氏と楽天の三木谷氏がそれぞれ10億円、タレントの久米宏氏が何故か2億円、イチローが1億円、松井秀樹が5千万円、所ジョージ、ビートたけしが1千万円、とにかく桁外れの金額をこの度の大震災の為にためらいもなく供出した。 仏教的に表現するなら「喜捨」と言って良いだろう。 大したものである。 庶民の金銭感覚では多額の寄付などというものは一部の篤志家のものであって「出せば減る」というのが「お金」の基本的性質と思っている人が多いと思うが、これは公務員的というか給与所得者的な感性であって、所謂「稼ぐ人」にとって「お金を出す」ことというのは「投資する」というのに似ていて、増やすため、稼ぐため、お金そのものに稼がせるために「出す」のであろうから最終的にふえてしまうのは彼らにとっては理の当然であるのかも知れない。 寄付と投資は一見その性質が全く異なるのであるが、実は有名人や有名企業にとっての寄付行為は、その個人名や企業名が表出された途端、被災者に対する純粋で温かい巨大な援助となるばかりでなく、その企業や個人のイメージも一躍急激に高める最大最良の宣伝広告費となる可能性があるのだ。 実に一石数鳥の妙手とさえ言えるのである。 たとえばソフトバンクグループの売り上げ3兆円とすれば100億円というのは300分の1の金額で、その広告費とすればそんなに高いものではない。 企業イメージを高めるという意味では僅かなものかも知れない。 そんな風に考えてみると、マスコミに載った寄付というものの意味合い、色合いが全く異なって見えるので或る意味少しガッカリする。 実は金持ちの法則と寄付行為の関係はそれ程単純なものではないが「自分は人に認められたい」「自分は価値のある人間だ」という欲求は実に強烈であるので、お金を有効に使う手段としての寄付は実に単純なお金持ちのお金の使い方の最善なものであるのだ。 実のところ、莫大な個人資産というものにはほかに使い道が無いと言っても良い。 チョットアタマの良い人ならすぐに理解できることであるが、お金は人を幸せにした分しか入って来ない。 モチロン、ペテンや詐欺行為、ドロボー以外であるが、まっとうなビジネスというものはそういうものである。 金持ちになる方法というのはお金を追いかけることでは決してない。 地方の成金くらいにはなれるかも知れないが必ずついえるか没落する。 お金の寄ってくる社会的に価値のある人間や企業になれば良いのである。 その対象を効率的に合理的に不特定多数の最大人数にすれば自然にお金持ちになれる筈だ。 そうしてそのお金の使い道というのはもしかして「人に与える」即ち寄付しかないのかも知れない。 莫大なお金をかけて豪邸を建てたり、派手に蕩尽したりしても誰も誉めてはくれない。 学校や病院や多くの働ける人を雇える社会に役立つ企業をつくるのが人に誉めてもらえる方法である。 そのような才覚や器量が無ければせめて多額の寄付をする他ないのである。 それで社会に認められる、認知されるのはマチガイナイし、自己の心の満足という幸福感も得られるのだからこれ程有難く御利益のある行為は無いかも知れない。 さぁ皆さん、お金のある人も無い人も寄付や義援金をいっぱい送ろうではないか・・・。 自分の家の家計や企業の台所が火の車で、お金を持っておかなければならない人でもそれでも敢えて義援金や寄付を出すべきであろう。 こんな風に書いてきたら、自分の出すべき義援金の額が心の内で決まって来た・・・。 モノを書くというのもナカナカ良い習慣であるのかも知れない。 考えがまとまってくる。 何年かしたらその金額を皆さんに披露できる日が来るかも知れない。 筆者は有名人、知名人でも無くただの町医者であるから義援金の額は秘密にしておこう・・・。 卑怯と言われようと自分だけが知っていれば良い。 そんな金額である。 重ね重ね被災地の復旧と犠牲者の人々の鎮魂を願って・・・。 ありがとうございました 濱田朋久 |